第4話 赤いドレス

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鬼と新婦に追いついたのは屋上であった。 「来たのかい?せっかく忠告してあげたのに」 鬼はどこか楽しげに言った。 「新婦を解放しろ。そうすれば、お互い痛い思いをしないで済むぞ」 「それはできないな。食べなければ、僕は死んでしまう。君の方こそ乗り気じゃないんだろ?僕らの事など放っておけばいいのに」 「こっちにも事情があるんだ。結構のっぴきならない事情がな」 鬼は夏奈子の方をチラリと見た。 「なるほどね。裾踏姫の尻にしかれているわけか。じゃあ、僕から裾踏姫を説得してあげよう」 「鬼の言葉など聞きません」 夏奈子はにべもなくはね退け、それに対して鬼は肩をすくめた。 「まあ、そう言わないで聞きなよ。裾踏姫、あなたは冥府刀にも鬼にも関わるべきじゃないんだ。関わった姫は必ず不幸になる。姫は姫に与えられた役割を果たしていればいい。そっちの方が安全だし、長い目で見れば、より多くの人間を救う事になるはずだよ」 「私の役割?」 夏奈子が疑うような目付きで聞き返した。 「そう、『神による神隠し』の阻止だよ。君らの相手は襟掴神や袖掴神のはずだ」 夏奈子は一瞬、鬼に近寄ろうとする素振りを見せたが、深呼吸とともに自制し、その場に留まった。 「あなた……襟掴神を知っているのですか?」 「もちろん。神界の人間調達係だ。神界へ人間を連れて行く」 今度こそ夏奈子は鬼に向かって歩き出し、俺は慌ててその腕を掴んだ。 「落ち着け!総一郎のことを知りたいのは分かる!だが、奴は鬼なんだ。油断するな」 俺は夏奈子の腕を離さぬまま、鬼へと目を向けた。 「襟掴神は、神達は人間をさらってどうするつもりなんだ?」 「さあね?僕は鬼だ。神のする事に興味はない。ただ、古来より掴神は人間を連れ去ってきた。その神隠しから人間を守るために生み出されたのが『裾踏留めの呪術』さ。だから、裾踏姫の役目は神隠しを未然に防ぐ事で、鬼を殺す事じゃない」 「神界から人間を連れ戻すことは可能なのですか!?」 夏奈子が身を乗り出すようにして問うと、鬼は首を傾げた。 「それも知らないな。ふーん、誰かをさらわれたのかい?だったら、ますます僕なんかに構っている暇はないじゃないか?さあ、お互い干渉するのは止めよう」 夏奈子は鬼を睨み据えており、引く気がないのは一目瞭然であった。 鬼は深くため息をついた。 「その様子だと、ヤル気みたいだね……仕方ないな」 鬼と新婦は素早く左右に分かれ、身構えた。鬼は素手であったが、新婦の手にはいつの間にかナイフが握られていた。 「夏奈子、まずは鬼を片付ける!その後に新婦のドレスを引き裂くぞ!」 「分かりました!」 俺は片手に刀を携え、足下には腐泥門を従え、鬼に向かって駆け出した。 俺は鬼に接近し、柄を両手に持ち替えた。そして、刀を頭上に振り上げた瞬間、俺の足は突然動かなくなった。 (夏奈子!?) まだもう一歩足りない。ここからでは切っ先が鬼にとどかない。夏奈子の浴衣を踏むタイミングが早すぎたのだ。 「くっ!」 俺は破れかぶれで刀を振り下ろすが、やはり切っ先は空を切る。 目の前で醜態をさらし、無防備になった俺を鬼が見逃すはずがなかった。俺が再び刀を構える前に、鬼は俺の顔面に拳を叩き込んだ。 唇が切れ、口内に血の味が広がった。 「くっ!」 俺は痛みをこらえ、刀を反して下から上へと斬り上げた。 だが、その時にはすでに、鬼は俺から離れていた。 「大丈夫ですか!?」 後ろから悲鳴にも似た夏奈子の声。 「平気だ」 そう答えた俺の口からは、血が滴り落ちた。 「すみません!私のせいで!」 「反省はまた後だ!」 「はい!」 夏奈子は俺の裾から足を退けた。 「仕切りなおしだ。今度は俺が『よし』と言ったら、浴衣を踏んでくれ」 「はい!」 俺は袖で唇の血を拭い、再び駆け出した。 鬼は相変わらず悠然と構えていた。 俺は鬼に真正面から肉迫し、「よしっ!」と叫んだ。 「どうぞッ!」 夏奈子の声が返ってくるやいなや、俺は刀を振り下ろした。だが、鬼にいとも簡単にかわされ、体勢が整わないうちに、俺は再び鬼の拳を顔面にくらった。 「おしどり夫婦の餅つきじゃないんだからさ!よし!どうぞ!よし!どうぞ!馬鹿か」 鬼は、俺達の口真似をしながらゲラゲラ笑い、軽快にステップしながら後退した。 俺は前屈みとなって顔面の激痛に耐え、押さえた指の間から流れる血が浴衣の袖口をベットリと重くした。 「望月さん!」 夏奈子が背に手を当て、脇から俺の顔を覗き込んだ。 今度ばかりは平気とは言えず、俺が黙したまま痛みに堪えていると、笑い疲れた鬼が言った。 「掛け声なんて攻撃を予告しているようなものじゃないか。君が本気で僕を倒そうとするのなら、沈み込むのを覚悟して単独で来ないとダメだよ。もっとも、それで僕を倒しても、泥に沈んで動けなくなった君を、新婦が殺すけどね」 「う……ぐぅ」 俺は鼻血を垂れ流したまま、刀を鬼に向かって構えた。 「行く……ぞ……夏奈子」 「望月さん!もう、無理です!私が間違っていました!やはり、刀と裾を踏むタイミングを合わせるのは難しいです!腐泥門のハンデは致命的です!次はきっと殺されてしまいます!」 「ここまで……やられて……引き下がれるか……」 俺は進もうとしたが、夏奈子が裾から降りないため、そこから動けなかった。 「退け……夏奈子」 「ダメです!」 「あと……一度だけだ……頼む」 しばしの沈黙の後、肩越しに、「分かりました」と、夏奈子の小さな声が聞こえた。 「今度こそ……」 俺が三度目の突撃を試みようとしたその時、視界の端で何かがキラリと光った。 それはナイフであった。 鬼に気を取られすぎ、俺と夏奈子は新婦の接近に気付かなかったのだ。 もはや、ナイフを避けることは不可能だ。刀で受けるしかない。しかし、夏奈子が浴衣を踏む間はないだろう。 こんなことで沈み、動けなくなるわけにはいかない。俺は刀ではなく、腕をナイフに向けて突き出した。
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