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「カズマ、逃がさないでね!」
真紀の大声に、男は「っせーな、分かってるよ」とおざなり答え、それから鬼に向かってニヤリと笑った。
「おい、鬼、選ばせてやる。俺に斬られたいか?それとも、新入りに斬られたいか?俺なら、お前は確実に死ぬ。新入りなら、まあ、助かるかもしれん。さあ、どうする?」
「ふん、ハッタリだ。君の裾踏姫は新婦のところにいる。君がその薙刀を振るえば、君は腐泥門に沈んで冥府行きだ。君が僕を斬れるわけがない」
言葉とは裏腹に、鬼の声音に余裕は感じられない。
コートの男はそんな鬼に対して一歩踏み出した。
「完全に沈む前に、そこの切れ長の目をした嬢ちゃんに踏んでもらうさ。ただ踏むだけなら出来るだろ。誰がお前みたいなザコのために冥府へ行くもんかよ。さあ、どっちを選ぶ」
鬼は顔を歪ませながら俺と男を見比べ、こちらへと踵を返した。
(くそ、見くびりやがって!)
俺に向かって一直線に迫る鬼に対し、俺は駆け出した。
俺は刀を水平に構え、剣先を鬼に向け、一撃必殺の覚悟で挑む。この一撃で俺は沈むはずだ。だが、不安はない。後ろに夏奈子の足音が付いて来ており、必ずや沈降を途中で止めてくれるはずだ。
(集中すべきは鬼)
俺は全神経を鬼に向けた。
だが、素人ゆえに、その集中を様々な雑念が掻き乱す。
(いや……そうか)
俺は最も気に入った雑念に従い、刀を振り上げるのではく、振りかぶった。
鬼は俺の目前に迫ると、地面を蹴り、一瞬にして視界から消えた。
鬼がこの不利な状況を覆し、優位に立とうとするならば、次の一手しかない。最小のリスクで最大の効果を得られる方法。丸腰の裾踏姫を殺し、冥府刀を振れなくさせること。狙いは夏奈子か真紀の二人に絞られる。ならば、真紀だ。自分の分身を解放する事につながるからだ。
俺は刀を投げるモーションの途中で、初めて空中を仰いだ。
俺の予想通り、鬼は真紀の頭上に達しようとしていた。
ブンッ!
俺の投げた刀が一直線に鬼へと飛び、その胴を貫いた。
ウギャアァァーー!
断末魔の叫び。
鬼の体は真紀を外れ、床に落ちてバウンドした。そして、そのままゴロゴロと床を転がり、動かなくなった。
「よしっ!」
俺は腐泥門にズブズブと沈みながら、拳を突き上げた。
「望月さん!」
夏奈子が裾を踏み込み、俺の沈降は膝辺りで止まった。
「望月さん!すごい!やりましたね!」
俺は振り返り、興奮する夏奈子に向かって親指を立てた。
「まかせろ。俺の洞察力をもってすれば、鬼なんて敵じゃない」
「ねえ、私の存在を忘れてないかしら?」
新婦の後ろで赤いドレスの裾を踏みながら、真紀が不満そうにこちらを見ていた。
「私の手助けがあったからこそ、鬼を倒せたんじゃないかしら。何か一言あってもいいと思うけど?」
「礼か?うん、ありがとう。おかげで助かった」
「どういたしまして。役に立てて良かったわ。さてと、後はこの赤いドレスを斬れば、鬼は消滅ね」
真紀はそう言うと、薙刀の男に向かって手招きした。
「カズマ、来てちょうだい」
「ん」
男は短く答えると、ブーツで腐泥門の泥をビチャビチャと跳ねさせながら真紀へ近づいた。
「カズマ、仕上げるわよ。手を抜かないで全力でね」
「こんな服にか?ペラッペラの鬼じゃねえか」
「今後のためよ。彼らに舞踏を見せておくのよ」
「こんな男のためにそこまでやる必要があるのか?あんなザコ鬼にこんなに手間取ってたんじゃ話にならねえ。戦力にならねえよ」
腹のたつ言い方であった。俺は男に向かって「おい」と低い声で言った。
「お前に馬鹿にされる覚えはない。別にお前に褒めてもらいたくてやったわけじゃない。それから戦力ってなんだ?言っとくが、俺はおまえらの意図なんて知ったことじゃない」
男は俺の言葉を聞き、薄く笑った。
「てめえなんか別にいてもいなくてもいい。てめえの代わりならいくらでもいるからな。俺達が必要なのは後ろのお嬢ちゃんだ。てめえみたいな貧弱な奴はお呼びじゃねえ」
俺はムッとして、男に向かって進もうとした。しかし、腐泥門にはまっているため、一歩も進めなかった。
「いい様だな。てめえなんかそのまま沈んじまえ。その裾踏姫にはもっと強くて、相性のいい男をちゃんとあてがってやる。てめえみたいな貧弱な奴はいらねえ」
俺が言い返す前に、俺の後髪を揺らす程の大声が「黙りなさい!」と言った。
振り返ると、怒りを宿した切れ長の目で、夏奈子が男を見据えていた。
「望月さんを馬鹿にすることは許しません!あなたに望月さんの何が分かるというのです!?望月さんは強い男性です!私は望月さんほど、他人のために何かをしてくれる人を知りません!いいですか、望月さんを馬鹿にするのは絶対に許しません!」
だが、男は動じる様子もなく、相変わらず薄い笑いを浮かべたまま、こちらへ歩み出した。
「お嬢ちゃんはそいつが大切らしいな?だが、俺がお嬢ちゃんをちょっと引っ張って裾から退かせば、その男は完全に沈んで冥府行きだ。俺はそいつが気に入らねえんだ」
「な、何をする気ですか」
「もちろん、お嬢ちゃんに裾から退いてもらって、その男には消えてもらうのさ」
「や、やめなさい!」
夏奈子は俺の背に身を寄せた。
「さあ、お嬢ちゃん」
男は夏奈子の腕を掴んだ。
「嫌です!」
「お嬢ちゃん、覚えとくんだな。大切な男なら、ほんのちょっとでも腐泥門に沈めちゃならねえんだ。敵中では、それは死んだも同然なんだよ。いいか?この男が冥府へ沈むのは、あんたが踏み損なったからだ。さあ、退いてもらおうか」
男はそう言うと、夏奈子の腕を強く引き、
夏奈子は俺の背にしがみつきながら悲鳴を上げた。
「お前!本当に俺を沈めるつもりか!?」
「当然だ。この嬢ちゃんの面倒は俺が見てやる。お前の事などすぐに忘れさせてやるさ」
男は笑いながら、夏奈子をグイグイと引く。
「やめてください!」
「そ、そうだ、やめろ!」
「誰がやめるか、馬鹿め。さあ、沈め。男なら笑って行け。俺も笑ってやるからさ」
屋上に響く男の高笑い、そして、それを打ち消したのは真紀の一喝であった。
「カズマァァァーー!」
「な、なんだよ……」
男はたじろいだ。
「カズマ!全てを台無しにするつもり!?彼女に嫌われたら、もともこもないでしょ!せっかく仲間になってくれそうな姫なのに!このド馬鹿!」
「じょ、冗談じゃねーか。そんなに怒るなよ。俺は嬢ちゃんに裾踏姫の役目の重要性を教えてやってただけだ。男を決して腐泥門に沈めちゃならねえってな。冥府刀を振る側としては、当然心得てもらいたいことだからな」
「もういいから、こっち来なさい!」
「わ、わかったよ」
男は素直に従い、真紀はばつが悪そうな顔をこちらへ向けた。
「ごめんなさい。不快な思いをさせてしまって。後で殴っとくから許してね」
真紀は頭を下げると、男に向き直った。
「まったく、世話ばかりかけさせて」
「とっととこいつらに戦い方を教えてやろうぜ。真紀、新婦を解き放ってくれ」
俺は二人の会話を聞き、「ちょっと待て」と口を挟んだ。
「大丈夫か?その新婦、見かけによらず動きが速いぞ。それに、新婦を傷つけることはできないんだぞ?新婦のドレスだけを斬れるのか?」
「俺らをてめえらと一緒にするなよ。本当の戦いを見せてやる。これから実演するものが、『裾踏留めの呪術』の究極であり、てめえらに要求する技術だ。さて、真紀、始めよぜ」
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