第4話 赤いドレス

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「わかったわ。だけど、絶対に新婦を傷つけないようにね」 真紀はそう言うと、駆け出す動作でウエディングドレスの裾から退き、素早く男の後方に陣取った。 裾踏姫の呪縛から解き放たれた新婦は、けたたましく笑った。その喉から発っせられた声は女性のものではなく、先ほど倒した鬼のものであった。 「君達は後悔する……死ね」 新婦は手の中のナイフを巧みに回転させ、刃が風を切って男に突き出される。 真紀が男のコートを右足で踏み込むと同時に、男は薙刀の柄でナイフを受け、押し返した。 新婦は男の至近距離に位置したまま、真紀を狙うため、男の後方へ回り込む。 だが、すでに男と真紀は立ち位置を入れ替えており、薙刀とナイフが甲高い金属音をあげた。 新婦が舌打ちとともに跳び退いた瞬間、真紀がブレーキペダルを離すようにコートの裾から足を上げた。 呪縛から解放された男は一気に新婦へと迫った。 影の様に付き従った真紀は、男が薙刀を振るう瞬間に再びコートの裾を踏み込む。 横一線の攻撃が切り裂いたのは空中に漂うドレスの裾だけであり、新婦は後方に跳躍し避けていた。 すかさず真紀はコートから足を退け、男は新婦の追撃に移った。 新婦は切り裂かれたドレスをはためかせながら着地すると、曲げた脚のバネに蓄えた力を解放し、迎え討つようにして男に肉迫し、ナイフを突き出した。 男はとっさに薙刀で受けたが、その時には真紀の左足がコートの裾を踏んでおり、男が腐泥門に沈み込むことはなかった。 新婦はそのままナイフを目にも留まらぬ速さで繰り出し続け、男は薙刀を縦横無尽に振り回し、その全ての攻撃を防ぐ。 新婦は時に跳躍し、時に地を転がり、あらゆる角度から真紀と男に刃を向けた。 男と真紀は走り、立ち位置を変え、薙刀が唸りを上げて火花を散らし、逆に新婦を追い詰めていく。 男の技量は大言を吐くだけの事はあった。男が薙刀を振るう度に、少しずつではあったが、着実に新婦のドレスは切り取られていった。それでいて、新婦の身体には傷一つ付いていなかった。 しかし、目を引くべきは真紀の動きであった。男の動きを妨げぬため、真紀がコートの裾を踏むのは薙刀を振るう時だけだ。よって、真紀の足の動きは大変慌ただしいものであった。縦横無尽に薙刀を振るう男の後ろで、その不規則な動きに対応するため、真紀は裾を踏む足を左右選ばなかった。左右右左右、足の動きに身体がついて行く感じであり、身体を回転せざるを得ない時もあった。ただ、それさえも真紀にとっては裾を踏むための予備動作となり、軸足の外を回る足が裾に叩き付けられ、その軸足も目まぐるしく入れ替わり、しなった脚が蹴りつけるように裾を踏んでいく。 さらに、男が薙刀を遠慮なく振り回すため、男の後ろを高速で通過してゆく柄や刀身を、真紀は身を屈め、身を反らし、かわさねばならなかった。 しかし、それでも、裾を踏む足は決しておろそかにしない。 腕はバランスを取るために大きく振られ、指先からは汗がほとばしる。 それはまるで、複雑なステップを踏む激しいダンス、舞いの様であった。 (なるほど……だから舞踏か) 俺は真紀の美しい舞いに見惚れた。 そして、刃と刃が散らす火花もその激しさを増し、俺の目ではどちらが優勢か分からなくなった。ただし、床に散らばる赤い布片は着実に増えていた。 やがて、新婦は全裸となって屋上に横たわった。 真紀は舞踏を終え、呼吸が整うのを待ってから、男に向かって冷たい視線と言葉を放った。 「カズマ、ちょっと聞いていいかしら?」 「なんだよ?」 「下着まで斬る必要があったのかしら?ねえ?」 「斬ったんじゃねえ、切れちまったんだよ。いくら俺でも、そこまで正確に斬ることなんて出来ねえよ」 「嘘つき。そんな腕じゃないでしょ。全くスケベなんだから……ほら、あんたも見ない見ない」 横目で見ていたのに何故ばれたのだろうか。 俺は新婦の裸体から目をそらした。 「さあ、カズマ、コートを脱いでちょうだい」 「なんでだよ?」 「新婦に掛けてあげるのよ。さあ、早く!」 男は舌打ちすると、仕方がないといった様子でコートを脱ぎ、真紀に手渡した。そして、真紀が新婦にコートを掛けている間に、男は俺の方を向いた。 「てめえ、ちゃんと見たか?」 「ああ、しっかり拝ませてもらった」 「へえ、拝むほど素晴らしかったか?」 「まさに芸術だ」 「なんだ、てめえ、なかなか分かってるじゃねえか。参考になっただろ」 「参考?そうだな、確かに参考になった。写真でしか見たことなかったからな」 「写真?写真なんてあるのか?初耳だぞ」 「知らないのか?」 「知らねえな」 俺は男を憐れんだ。そして、行きつけの書店を紹介してやろうと口を開きかけた時、夏奈子が後ろから俺の耳にささやいた。 「望月さん、彼が言ってるのは裸体のことではなく、先ほどの戦いのことです」 「……」 「わかってますか?」 「……当然だ。俺もそのつもりで話していた」 夏奈子は、「うそつき」とつぶやき、耳元から口を離した。 「なんだ?てめえらコソコソと……みせつけてやがるのか?」 「ふん、口の悪い奴だな。だが、それは我慢してやる。だから、俺の質問に答えるんだ」 「偉そうな口をきくんじゃねえ。本当に腐泥門に沈めてやろうか?え?」 「出来るもんならやってみろよ。ただし、真紀が凄い顔で見ているぞ」 「うっ……」 表情だけで男を沈黙させた真紀は、俺の前に立った。 「質問なら、この馬鹿ではなく、私にしてちょうだい」 「そうか。なら、一つ目の質問だ。さっき、夏奈子のことを仲間になってくれそうな姫って言ったよな?なんの仲間だ?」
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