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俺と美奈は神社裏の雑木林を歩いていた。祭の喧騒は遠くに聞こえ、灯りはすでに届いていない。手に持つ懐中電灯だけを頼りに、俺達は洞窟を目指していた。
「ねえ、ダーリン、私が裾を持とうか?」
長い裾が木に引っ掛かかり、何度目かの舌打ちをした俺に、見かねた美奈がそう言った。
言葉から分かるように、美奈はしばらく前から再び縁結びの影響下に入っていた。しかし、頬をつねるのが面倒になった俺は、もう放っておくことにしていた。
「もうすぐ着くから大丈夫だ。それより、ちょっと照らしてくれ」
俺は自分の懐中電灯を下に置き、美奈の懐中電灯が照らす光の中、木に引っ掛かった裾を取り外した。そして、立ち上がろうとした時、浴衣の懐から何かがゴソっと草の上に落ちた。
「ダーリン、これ、何?」
俺より早く拾い上げた美奈が、その褐色の小瓶に懐中電灯の光を当てた。
「何?栄養ドリンク?」
「ば、ばか、危ないから返せ!」
俺が伸ばした手を、美奈はひらりとかわし、小瓶に貼られたラベルをまじまじと見た。
「えーと、『爬虫類王者エキスDX』…もう、がんばり屋さんなんだから。私、洞窟で何されちゃうのかしら?」
「違う!中味は別ものだ。屋台の人に分けてもらったんだよ!いいから返せ!」
俺は美奈の手から小瓶をひったくるように取ると、懐にしまい込んだ。
「さあ、行くぞ。もたもたするなよ」
「了解。ダーリン」
それから歩くこと数分、俺達は洞窟にたどり着いた。洞窟の入り口は狭く、赤茶けた鉄格子がはまっていた。
「どうするの?」
「ああ、大分錆びてるな……美奈、ちょっと離れてくれ」
美奈が鉄格子から離れると、俺は足裏で思いっきり鉄格子を蹴った。
鉄格子は呆気なく外れ、俺は美奈を振り返った。
「美奈はここにいてくれ。後は俺一人で行く」
「なんで?私も行くわ」
「危険だ。美奈を危険な目にはあわせられない」
これは嘘であった。本当の理由は美奈を連れて行くのが面倒だったからだ。連れて行けば、きっと姫がかわいそうだとか言って俺の邪魔をするに違いない。
「とにかく、ここからは俺一人で行く」
「……うん、分かった。ここで待ってる」
「よし。じゃあ、行ってくる」
俺は美奈に背を向けると、身を屈め、狭い入り口から洞窟へと入った。
懐中電灯に照らしだされた洞窟内は、入り口とは違ってかなり広かった。俺は奥へと懐中電灯を向けたが、闇は深く、光は奥まで届かなかった。
「さてと……」
俺は岩がゴツゴツと突き出た洞窟を、慎重に、一歩ずつ奥へと進み始めた。
「ん?」
洞窟をかなり奥へ進んだ時、懐中電灯の光の中に岩とは違うこんもりとした物が見えた。
俺は光を当てたまま、その軟質なものに近づき、「むう」と唸った。こんもりと膨らんでいたのは古びた着物で、その端に人間一人分の骨が乗っていた。
「これが裾踏姫の成れの果てか?てっことは……」
指先で着物をわずかに持ち上げると、案の定、下から覗いたのはこれまた白骨であった。
「こっちが行商人ってことだな。よし」
俺は姫の骨をつまみ、着物の上から退かし始めた。姫を裾から降ろせば呪縛は解かれ、商人は自由の身になる。そうすれば、伝説の最後は別れとなり、縁結びの御利益も失われるはずである。
俺は黙々と骨を退かしていき、やがて、姫の骨を裾の上から退かし終えた。
「地味な作業だったな……まあ、亡霊なんて本当に出てこられても困るけど」
目的を果たした俺は、本当に御利益が無くなったのかどうかを確かめるために美奈の待つ洞窟の出口へと急いだ。
しかし、出口までもう少しという所で、俺の足はピクリとも動かなくなってしまった。足が地に貼り付いてしまったかのように、どんなに力を込めても足は上がらなかった。
「このシチュエーションは……」
俺が恐る恐る振り返ると、裾の上には美しい女性が立っており、恐ろしい目で俺を睨んでいた。
それはまさに伝説の再現であった。
「よくも……おのれ……」
裾踏姫の唇から低い声が漏れ、それと同時に洞窟が鳴動を始めた。
洞窟、そして鳴動、俺は当然のように崩落を連想した。
「くそ!」
俺は浴衣を脱ぐために帯を解いたが、なぜか袖から腕が抜けず、浴衣を脱ぐことができなかった。
(これも姫の呪術なのか!?)
俺は早々に脱ぐことを諦め、次の手段に移ることにした。
俺は身体をねじりつつ、手にした懐中電灯を姫めがけて叩きつけた。しかし、姫の身体は空気のようなもので、なんの手応えもなく懐中電灯は姫の身体を通り抜けてしまった。
「だったら!」
俺は浴衣の懐に手を入れ、褐色の小瓶を取り出した。
だが、慌てていたため、小瓶は俺の指をすり抜け、コロコロと手の届かない所まで転がっていってしまった。
「う、うそだろ……」
鳴動は次第に激しくなり、細かい岩の破片が呆然と立ち尽くす俺の肩にパラパラと落ち始めた。
万事休す。俺がそう思った時、美奈の声が洞窟に響き渡った。
「あんた!?何やってんのよ!」
声がした方を見ると、俺に向かって懐中電灯の光が揺れながら近づいて来ていた。
「ねえ!この洞窟崩れるわよ!早く出ないと!」
「動けないんだ!!」
俺は光の向う側に見える美奈のシルエットに向かって怒鳴った。
「ん!?誰よその人!?」
「裾踏姫だ!踏まれてるんだ!」
「な!?待ってなさい!今助けるから!」
美奈は一気に駆け寄ると、姫に向かって懐中電灯を振り下ろした。しかし、懐中電灯は姫の身体を素通りし、俺の背にゴキンと当たった。
「痛ッっっ!駄目だ美奈!姫には触れられないんだ!」
「じゃあ、裾から降ろせないじゃない!」
「裾を無くしちまえばいいんだ!裾が無ければ姫は踏めない!そこら辺に瓶が転がってるはずだ!取ってくれ!」
「瓶!?」
美奈は地面に光を当て、すぐに小瓶を拾い上げた。
「これ栄養ドリンクじゃない!こんなのどーするのよ!?まさか、これを飲むと強くなるとか言うんじゃないでしょーね!?」
「冗談言ってる場合か!裾の上で割ってくれ!時間がない!」
「分かった!」
美奈は小瓶を振りかぶり、それを姫の足元へ叩きつけた。瓶は粉々に割れ、たちまち辺りには燃料の匂いが立ち込めた。
「美奈、離れろ!」
俺はポケットから取り出したマッチに火をつけ、それを裾の上に放った。
一瞬にして燃え上がった炎は、裾と姫を飲み込み、着物を伝って俺の背に迫る。しかし、裾を焼失させた事によって俺は姫の呪術から解放されており、今度は難なく着物を脱ぎ捨てることが出来た。
「美奈、走れ!崩れるぞ!」
「分かってるわよ!」
俺と美奈は出口に向かって走り、そして、二人が外へ飛び出すと同時に、洞窟の口から大音響とともに土煙が吐き出された。
「危機一髪だったな。縁結びごときで死んだらシャレにならん」
俺は額に浮いた汗を拭い、息を吐き出す。
「私のおかげよ。感謝しなさい」
「ああ、ありがとう。それで、もう大丈夫なのか?縁結びの影響は?」
「うん。もう平気よ。なんかスーとした気分。あんたの読み通りになったわね。見直したって言いたいけど、あまり見直したくない姿ね。それ」
美奈はそう言うと俺から視線を逸らし、俺は自分が下着一枚だけの姿であることに気づいた。
「仕方ないだろ。着物を燃やす以外に方法がなかったんだから」
「よく燃料なんてあったわね」
「発電機の燃料を屋台のおっちゃんに分けてもらったんだ。伝説の通りだとしたら、商人の裾に乗っているのは亡霊だろ?だとしたら手が出せない。その場合、商人の着物ごと燃やそうと思って持ってきたんだ。でも、自分の裾を燃やすことになるとは思わなかったな」
「ねえ、姫の亡霊はどうなったのかしら?」
「さあな……火で消滅したかもしれないし、火が平気なら、まだ洞窟の中にいるかもしれない」
「なんか、かわいそうな事したんじゃない?」
「だったら反省しろよ。姫を男と別れさせたのも、俺が裸でここに立っているのも、全部その指輪のせいなんだからな。そんなもの二度とつけるなよ」
「分かってるわ。指輪に頼ろうとしたバチが当たったのよ。もう、これには頼らないわ」
「本当か?ふーん……そういえば、美奈は覚えてないと思うが、小池に会ったぞ」
「本当!?」
美奈が突然走り出し、俺は素早く彼女の腕を掴んだ。
「何しに行く?」
「踏むのよ!裾を!」
美奈は血走った目で俺を振り返る。
「おまえ、重要なこと忘れてないか?今さら裾を踏んでどうなる?もう御利益はないんだぞ」
「あっ」
美奈はハッとした表情になり、それから肩を落した。
「あーあ、あんたの裾さえ踏まなければ、今ごろ小池君とカップルになってたのに」
「いや、美奈は俺の裾を踏んで良かったんだ。今回、美奈は自分の意思に反して俺に惚れただろ?それは美奈にとって身の毛がよだつほど嫌な事だったはずだ。美奈はそれを小池にさせるところだったんだぞ?」
「それじゃあまるで、小池君が私を身の毛がよだつほど嫌ってるみたいじゃない!?」
「とにかく、小池と付き合いたかったら告白するんだ。変な力に頼らず、正々堂々と想いをぶつけるんだ。それで手に入れた物は、変な力で手に入れた物より、ずっと確かな物になる。現に、御利益なんて俺が手を加えただけで消えちまったじゃないか。そんな心許ない愛でいいのか?」
「……」
美奈は顔を伏せてしばらく黙っていたが、やがて、バツが悪そうに顔を上げた。
「分かったわよ。自分の力でなんとかするわ」
「よし。まあ、そもそも、小池は浴衣を着ていなかったがな」
「……先に言いなさいよ」
「じゃあ、とにかく、何か着るものを探してきてくれないか。この格好じゃ帰れない」
「しょうがないわね」
美奈は仏頂面で縁日の方へと歩きだした。しかし、すぐに足を止め、わずかにこちらを振り返った。
「ねえ、別に……それほど嫌って事はなかったわよ」
「ん?」
「それならそれもありかなって……思った」
「だから、なんの話だ?」
「……じゃあ、行ってくるわ」
俺に疑問を抱かせたまま、美奈は再び歩きだした。そして、その姿はやがて木々の間に見えなくなった。
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