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俺は美奈が用意してくれた洋服を着て、人がさらに増え、混雑してきた縁日を歩いていた。
「もし、小池君に告白してさ、上手くいったらメールしていいかな?」
美奈はリンゴ飴をかじりながら、俺の方をちらりと見上げた。
「ああ。でも、どうせなら振られた時にしてくれないか?」
「縁起でもないこと言わないで」
「だって、俺、メール欲しいし。その条件だと、俺は一生メールもらえないじゃないか」
「何それ!?まるで私が振られるみたいじゃない!」
その可能性は高いと言えた。小池はこの祭で、俺と美奈がべったりと寄り添う姿を見ている。その美奈から5年分の想いを告げられても、容易に信じるわけがない。
「まあ……頑張れよ」
「あっ、何よ、その哀れむような目は!?」
「別に……」
「あんた、何か知ってるわね!?そう言えば、私、何も聞いてないわ!小池君と会った時の状況を教えなさいよ!」
「聞かない方がいい」
「不吉な予感ーー!!」
美奈はぎゃあぎゃあと騒ぎ、俺はその横を笑いながら歩いた。
「すみません」
俺の胸にぶつかって来た女の子はそう謝り、不安そうに後ろを振り返った。
「どうしたんだ?」
「変な人につきまとわれてるんです。裾を踏んだら追いかけて来て……すみませんでした」
女の子はそう言うと、足速に立ち去っていった。
女の子が去った方と反対の方を見ると、一人の男が人混みを強引に掻き分け、こちらに向かって来ていた。
美奈が俺の袖をクイクイと引き、男を指差した。
「あの男、見覚えがあるわ。あいつ、私に裾を踏ませようとしたナンパ男よ」
「まだ頑張ってたのか」
「女の子が嫌がってるのが分からないかしら?」
「まあ、奴も必死なんだろう。奴の気持ちも分からないではない。でも、追い回すのは感心しないな」
「いいわ、私が懲らしめやる」
美奈はそう言うと、近づいて来た男の前に立ちはだかった。男は美奈をじろりと見た後、顔に喜色を浮かべた。美奈の行動を自分に都合よく解釈したようだ。
そして、美奈はさらに男を喜ばす行動に出た。美奈は素早く男の後ろに回り込むと、その裾を両足で踏んだのだ。
俺には美奈の行動が理解出来なかった。そんな事をすれば、男を誤解させるだけである。
しかし、男は最初こそにやけていたが、次第に顔色を青くしていき、やがて大声で騒ぎだした。
俺が聞き取れる範囲では、男はどうやら『足が動かない』と騒いでいるようであった。
俺は男の身に何が起こっているのかを知り、男以上に蒼白となった。
男は上半身だけでバタバタともがき、美奈が裾から降りると脱兎のごとく逃げていった。
美奈は男を見送った後、得意げな顔で俺の傍らへ戻ってきた。
「み、美奈、なんで裾踏姫の呪術をおまえが使えるんだ?まさか、おまえ……」
「心配しないで。別に姫に憑かれたわけじゃないわ。洞窟で姫が裾を踏んでるのを見て、出来そうだって思ったから真似しただけよ」
「ま、真似?真似なんて出来るのか?」
「裾を踏みながら呪文を唱えるだけ」
「呪文だって?さっき、呪文なんて唱えてなかったぞ?」
「もちろん口には出さないわ。心の中で唱えるの。裾踏姫もそうだったでしょ?」
「ちょ、ちょっと待て。俺はそんなの聞いてないぞ。姫が心の中で唱えていた呪文を、美奈はどうやって聞いたんだ?」
美奈はそこできょとんとした表情になり、首を傾げた。
「あれ?そう言われてみると、何でかしらね?」
「おいおい」
「でも、そんな事どうでもいいじゃない。こんな呪術が使えたって何の役にも立たないわ。だって、私は裾踏姫みたいに男に振られないしね」
「……そうか?」
俺は小池の身を案じた。もし、小池に会ったのならば、裾の長い服は絶対に着ないように忠告してやろうと心に決めた。
「さてと、行きましょ」
「おいおい、まだ食うつもりか?もう財布は空っぽだぞ」
「なんで私が『行きましょ』って言ったら、食べることに結びつくのよ!?」
「いや、食ってばっかだから。違うのか?」
「違うわ。花火がもうすぐ上がるのよ。一番よく見える場所を知ってるから、招待してあげる」
「花火か……そう言われてみれば、この祭の花火はじっくり見たことないな」
「花火を見ないで何やってるの?」
「花火が上がると、女の子の注意が上に向くんだ」
「……毎年そんな虚しい事してたの?しょうがないわね。私に感謝しなさい。今年はこんな可愛い女の子と花火が見られるんだから」
「まあ、そうだな」
「あっ、花火が上がるわよ!」
美奈がそう言った直後、夜空に七色の光が広がった。
だが、俺は空などには目を向けず、降り注ぐ光の筋に見惚れる美奈の横顔をじっと見ていた。
「綺麗ね。でも、私の知ってる場所はもっと綺麗に見えるんだから」
美奈はにっこりと笑いながら言った。
「ああ、でも、今年も花火なんてじっくり見られないだろうな」
「ん?何でよ?」
「いや、何でもない。じゃあ、そのベストスポットへ連れてってくれよ」
「うん。こっちよ」
美奈は花火を見ながら歩きだした。美奈の意識は上へと向き、足元には全く向けられていない。この無用心さが俺と美奈を引き合わせたのだ。
俺はそのうかつさに感謝しつつも、さり気なく美奈の足元に注意を払い、花火が鳴り響く縁日を歩いた。
以上でこの話は終わりである。だが、美奈とは、この後も幾ばくかの時間を共有することになる。
彼女は幾度となく俺の裾を踏み、その『裾踏留の呪術』によって俺を危機から救ってくれた。今、俺がここで独り苦笑していられるのも、彼女や夏奈子のおかげである。
今夜、時間が許す限り、彼女達『裾踏姫』の活躍を書いていこうと思う。
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