第2話 神隠し

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「兄さん、今夜はどうするって言ってた?」 「とりあえず、俺のアパートに泊まる」 俺は居間のテーブルに座り、出されたばかりの茶をすすりながら答えた。 「そう。よかった」 「心配するぐらいなら追い出さなければ良いのに」 「そうするしかなかったのよ。兄さんのために」 「事情を聞こうじゃないか」 「いいわ。でも、聞いたら私に協力して」 「話の内容による」 「それでいいわ。あなた、この家の事情を知ってる?夏奈子の事は?」 「章介から聞いている。一週間は夏奈子と仲良くしてたんだろ?なんで彼女と喧嘩したんだ?」 「夏奈子の本当の目的が分かったからよ」 「本当の目的?」 「そうよ。夏奈子がこの家に住んでいるのは何故だと思う?」 「だから、二階の部屋に総一郎が帰って来ると思ってるんだろ?車が戻ってきたから、この家は昔の状態に戻ろうとしているって。総一郎がいた頃の古き良き時代にな」 「私も最初はそう思っていたわ。夏奈子は一途ないい子だとね。でも、ある時、ふと思ったのよ。『総一郎君がいた頃』の状態とは『神隠しが起こる前』の状態でもあるんだって」 「当然の事を言っている様に聞こえるが?」 「鈍いわね。つまり、それは、神隠しが起こり得る状態に近付いているって事でしょ。私は考えたわ。この家は、総一郎君を部屋に戻そうとしているのでなく、もう一度、あの部屋で神隠しを行おうとしているのではないかって。私、夏奈子に内緒で調べたの。そしたら、大変な事が分かったわ。総一郎君は四人家族で、総一郎君には『キョウコ』という名の妹がいたのよ。同じ車、同じ家、同じ名前の妹、つまり、兄さんは今、失踪する前の総一郎君と極めて似た境遇にある。私は確信したわ。この家はもう一度神隠しを行おうとしているんだって。夏奈子は妹の情報を故意に隠して、私達がその可能性に気付かないようにしていたのよ。つまり、夏奈子は総一郎君が戻って来るとは思ってない。夏奈子が期待しているのは、もう一度あの部屋で神隠しが起こり、兄さんが失踪する事なのよ」 「章介が神隠しに遭って、夏奈子に何のメリットがある?」 「夏奈子は行く気なのよ」 「行く?」 「総一郎君のいる場所によ。兄さんが神隠し遭えば、夏奈子は兄さんについて行く気よ。そうすれば、総一郎君と同じ場所に行ける」 「だとすると、凄い執念だな」 「ええ、よっぽど総一郎が好きだったのね。でも、同情はしない。私達を利用しようとしたんですもの」 「なるほどな。昨日の夜、それを問い詰めたら言い争いになったわけだ?」 「でも、夏奈子はそのことを認めなかった。だから、兄さんをこの家から遠ざけるために、兄さんを追い出したの。この家は兄さんにとって危険過ぎる」 「だったら、『殺す』なんて言わないで、ちゃんと章介に理由を言えば良かったじゃないか。章介、かなり傷ついてたぞ」 「兄さんにはあれでいいの。兄さんのお人好しは筋金入りよ。理由を話したって、夏奈子が涙しながら否定したら、あっさり信用してこの家に留まるわ。だから、私が兄さんに対して激怒している事にしたの。それなら、兄さんはこの家に近づかないでしょ」 「効果はあったみたいだな。章介の奴、相当恐れてたぞ」 「さてと、じゃあ、あなたに頼みたい事を言うわ」 京子はそう言うと、俺の方へ身を乗り出した。 「何だ?夏奈子を追い出す手伝いでもさせる気か?」 「違うわ。夏奈子がいてもいなくても神隠しは起こるわ。神隠しを行おうとしているのは夏奈子じゃなくて、この家ですもの。夏奈子はそれを利用しようとしているだけよ。だから、あなたに頼みたい事は、まず、兄さんを次の住居が決まるまでアパートに泊めてもらいたいの」 「次の住居?この家から引っ越すのか?」 「当然でしょ。こんな家に兄さんが住めると思う?」 「まあ、そうだな」 「そして、次に、兄さんに四六時中はりついて、兄さんと夏奈子が接触しないようにして欲しいの。夏奈子は兄さんを何としてもあの部屋へ連れ込もうとするはずだから。特に満月の夜は注意して」 「総一郎は満月の夜にいなくなったのか?」 「そうよ。どう?協力してくれるかしら?」 もうすぐ引っ越すという事は、この家に俺の部屋を確保するという計画は頓挫したのだ。つまり、俺がこの矢崎兄妹に関わるメリットは何もない。だが、協力しないわけにもいかなかった。さすがの俺でも、このまま放っておいて、章介が神隠しに遭ったら寝覚めが悪い。しかし、無償というのも考えものである。 損得勘定をしている俺に、「ねえ」と京子が話し掛けてきた。 「もちろん、お礼はするわ。引っ越しが続いてるからお金は出せないけど、それ以外の物で」 「例えば?」 「私の友達を紹介してあげてもいいわ」 「つまり、合コン?」 「ええ」 悪くない話である。俺はすぐに心を決めた。 「いいだろう。章介は俺に任せておけ」 「良かった。ありがとう」 京子は安堵したように笑った。 「でも、俺は夏奈子の顔を知らない。知らなければ、章介を守れない」 「もうすぐ夏奈子は帰ってくるわ。その時に顔を見ればいいわ」 「分かった」 俺は夏奈子を待つ事にし、茶をのんびりとすすった。 俺が壁掛け時計を見上げると、夏奈子を待ち始めて三十分が経過していた。俺は時計を見上げたついでに、そのまま天井へ視線を移した。 「この真上が夏奈子の部屋か?」 京子は手にしていた雑誌から顔を上げた。 「そうよ」 「ちょっと偵察してきていいか?」 「嬉しそうね」 「嬉しくなんか無い。この状況で女子高生の部屋に興味津々なわけがないだろ。俺がここにいる理由を思い出せ。昔は総一郎の部屋だったんだろ?神隠しが起こった部屋を見たいだけだ」 「やっぱり嬉しそうだけど……だったらいいわ。でも、玄関の音には気を付けてね。夏奈子が帰ってきたら、すぐに部屋から出たほうがいいわ」 「分かった」 俺は居間を出ると、二階への階段を上った。そして、部屋の電灯のスイッチ入れ、驚きに声を上げそうになった。 その部屋は残念ながら本当に嬉しくも何ともなかった。どう見ても女の子の部屋ではなく、男物があふれた男の部屋であった。どうやら、夏奈子は総一郎の部屋をそのまま再現したようである。その方が神隠しが起こりやすいと考えたのだろう。 (本格的だな……) 俺は部屋の中を歩き回り、最後に窓からベランダへ出た。 (外へ出られるのはここだけか。でも、その夜には鍵が掛かっていた。やっぱり、神隠しなのか?) ベランダで総一郎の行方をあれこれ考えていると、背後からカチャリとドアの開く音がした。 振り返ると、一人の美しい少女がドアノブを掴んだまま立っていた。 少女は紺色を基色とした高校の制服を着ており、真っ直ぐな黒髪は肩の辺りで切り揃えられていた。 (夏奈子か) どうやら俺は、彼女が玄関から入って来る音を聞き逃した様であった。 「何をしてるのですか?」 当然だが、彼女の切れ長の目も、その口調も険しいものであった。 「見てたんだよ」 俺は動じる事なく答えた。夏奈子の部屋へ無断で入ったのは確かだが、今現在この家の主は章介である。厄介者は夏奈子の方であり、俺が遠慮する必要などないのだ。 「よくもまあ、部屋をここまでしたもんだ。感心するよ」 「貴方、誰です?」 夏奈子は相変わらず険しい口調で問う。 「俺は望月拓郎だ。章介の先輩だ」 「章介さんは、今どこにいるのですか?」 「それは教えられない。ただ、章介はここへ戻って来ない」 俺がそう答えると、夏奈子は唇をぎゅっと噛みしめ、押し黙った。その様子を見れば、彼女が何を計画していたのか一目瞭然であった。 「おいおい、本当に章介を犠牲にして、総一郎の所へ行こう思っていたのか?どうしてそこまで思い詰める?そいつと付き合ってたのなんて、中学生の時の話だろ」 「……で……さい」 うつむいた彼女の声は掠れており、俺は「何?」と聞き返した。すると彼女は、「出ていってください!!」と大声で叫び、俺の腕を掴んで出口まで引っ張った。 抵抗しようと思えば出来たが、そこまでしてこの部屋にいる理由はなく、俺はされるがまま部屋の外へ叩き出された。 夏奈子は凄い勢いでドアを閉め、俺は肩をすくめて階段を下った。 「大丈夫?」 居間から出てきた京子が心配そうに俺を見上げた。 「ああ、大丈夫だ。章介の事は任せろ。絶対に彼女へは近づけさせない」 「うん、頼んだわ」 「じゃあ、帰る。外で章介が待ってるからな」 「兄さんには私がまだ怒ってる事にしておいて。ここに近づかないように」 「分かってる。じゃあな」  俺は京子に見送られ、その家を出た。 章介がアパートに来てから数日が何事もなく過ぎ、事態が急変したのは、五日目の夜であった。俺と章介が夕食を終え、部屋でテレビを観ていると、客の来訪を告げるチャイム音が鳴り響いた。俺がドアを開けると、そこには京子が立っていた。 「どうした?」 「もうダメ!あの家には居られないわ!」 「何があった?」 「あの女、私を監禁しようとしたの!満月の夜がもうすぐだから、見境がなくなってるのよ!兄さんをあの家に誘き寄せるために、私を人質にしようとしたのよ!」 「まさか」 「本当よ!これを見て!」 京子が腕を上げると、その手首には縄目の跡が赤く残っていた。 「嘘だろ……」 息を飲んだ俺の胸元を掴み、京子が俺を外へ連れ出した。 「とにかく、方針を変更するわ!私も兄さんのそばにいるわ!ここに私も泊めてちょうだい!」 「それは俺としても大いに嬉しいが、さすがに三人となると部屋が狭い」 「だったら、あなたが私達の家に泊まって!夏奈子も相手が男なら力で負ける。人質にできないわ!」 「なんで俺が、そこまであんたら兄妹に貢献しなくちゃならないんだ?」 「お願い!」 京子は頭を深く下げ、そのまま上げようとしなかった。俺が承諾するまで上げないつもりだろう。 「……合コン、三回だな」 俺が溜め息混じりに言うと、京子はパッと顔を上げた。 「いいの?」 「仕方ないだろ」 「ありがとう!」 「んじゃ、早速荷物でもまとめるか」 こうして俺は、夏奈子のいる家へ向かう事になった。
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