第3話 腐泥門

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第3話 腐泥門

冥府刀 この世の刀では切れぬモノを切る刀 ただし 一度でも使用した者は 刀が呼び出す冥府へ通ずる門 腐泥門に引きずり込まれる 冥府刀を使い なおも腐泥門に沈みたくなければ 裾踏姫に裾を踏まれ その場に呪縛されること 運命というものに転機や緩急があるのなら、美奈との出会いが俺の運命の転機であり、冥府刀が俺の運命を一気に加速させたと言ってもよいだろう。これから書く話は、俺が冥府刀を手にするまでの話である。 満月の夜を借家で過ごした次の日、俺は美奈を見送るために駅へと来ていた。俺の他に来ているのは夏奈子だけであり、章介は鬼のような形相をした京子に連れていかれてしまったため、ここにはいない。 「夏奈子は、この後どうするつもりなの?」 美奈は、俺に買わせた駅弁を食べながら、ベンチの隣に座る夏奈子にそう話し掛けた。 夏奈子は弁当の包装を解く手を止め、顔を上げた。 「とりあえず、昨日見たものについて調べます」 「それだけ?」 美奈がさらに問うと、夏奈子は首を小さく横に振り、「いいえ」と答えた。 「美奈さんが何を言わんとしているのか、私には分かります。私が感じた事を、美奈さんが感じないわけがありません。章介さんの裾を踏んだ時、襟を掴む者の感情が私に伝わってきました。あれは、焦燥と執着、連れ去る者が持つ感情としては少し変です。どちらかというと、私が総一郎に対して抱いている感情と同じ、取り戻そうとする者の感情です。 だとしたら、私と同じく、決して諦めない。例え章介さんがあの家から出ようとも、次なる機会を作り、章介さんを連れ去るでしょう。美奈さんに言われるまでもありません。章介さんは私が守ります。もしかしたら、総一郎に会うためにはそれが一番の近道かもしれません」 夏奈子が断言すると、美奈は安心した様に息をついた。 「良かった。じゃあ、章介さんの事お願いね。せっかく守ったのに、さらわれちゃったら虚しいから」 「美奈さん、今回は本当にありがとうございました。美奈さんのおかげで、総一郎の身に何が起こったのか、私が長年知りたかった事を知る事が出来ました」 「気にしないで。私にもメリットはあるんだから」 美奈はそう言うと、俺の方に向き直った。 「拓郎、あの約束、ちゃんと守ってよね」 「ああ、分かってる」 俺が答えると、夏奈子は驚いた様に口へ手を当てた。 「望月さん!私のために、美奈さんに何か代価を!?でしたら、私がそれを払います」 「いや、これは俺にしか出来ない事だからな。条件は、美奈の告白のお手伝いだ」 「え?……ええっ!?美奈さんと望月さん、お付き合いしてたんじゃないんですか!?」 夏奈子は余程ビックリしたのか、それとも俺達に対して多少は打ち解けてきたのか、今まで見せた事のない大仰な反応を見せた。 「だ、だって、昨日、望月さんに襟掴神の手が迫った時、美奈さんは必死でした。恋人だからこそ、あそこまで取り乱したのだと思ってました」 「まあ、俺もそう思いたいところだが……美奈が取り乱しているのはいつもの事だからな」 「あんたのせいでしょ!あんたと会ってから、私、なにもかも思い通りにいかなくなったわ!私の順風満帆だった人生をどうしてくれるのよ!」 「だから、ちゃんと、小池の誤解をといてだな……ん?」 タジタジと答えていた俺は、視界の端に入った人物の姿に、途中で言葉を止めた。 ホームに設置された時刻表、その前に男が立っており、俺達の方をじっと見ていたのだ。 「どうしたの?」 「美奈、あそこにいる男、あの顔色の悪い中年って、お前の父ちゃんか?」 「え?何よ、突然?あの人がどうかしたの?」 「ということは、違うんだな。いや、あいつ、美奈の高校の前でも見たんだよ」 「嘘でしょ?私の学校からここまでって、かなりの距離よ?そんな偶然なんてないわ。見間違いじゃないの?」 「いや、あいつ、門柱の陰から校舎の方をコッソリと覗いてたんだ。父兄か変態か判断しかねたから、よく覚えている」 「その時点で変態だって判断しなさいよ!ここにいるって事は、私を追って来たって事じゃない!」 「あっ、そんな大声を出すと……」 俺が制止した時にはすでに遅く、美奈の大声に刺激されたのか、男はこちらに向かって歩いて来た。 「あ、あんた、なんとかしなさいよ!」 どんなに慌てようとも弁当だけはしっかりと持ったまま、美奈は俺の後ろに回り込んだ。 「仕方ないな」 俺は、向かって来る男に対して歩を進め、その前に立ちふさがった。 「あんた、何の用があるんだ?」 俺が問うと、男は俺の肩越しに美奈を見て、それから、不安と戸惑いの入り混じった声で言った。 「あの……聞いてもよろしいでしょうか?あの女の子は、彼女は裾踏姫なのでしょうか?」 「なんだって?ちょっと待て、それをどこから聞いた?」 俺の反応を肯定と判断したのか、男は興奮した様に俺へ詰め寄った。 「やっぱり、そうなんですね!?よかった!ああ、これで娘が救われます!大事な一人娘なんです!どうか、どうか僕と話をさせてください!裾踏姫と話を!僕の娘のために!お願いします!」 男は俺に向かって深く頭を下げ、俺は面食らいながら、後ろにいる美奈を振り返った。 「美奈、このオッチャン、美奈に頼みごとがあるそうだ」 「聞こえてたわよ。でも、出来れば話したくないわ。その人、厄介事を予感させる言葉を口にしていたから」 「『娘』『一人娘』『僕の娘』のどこが厄介なんだ?」 「違う!あんたはそういうのしか頭にインプットされないの!?もっと重要なのがあったでしょ!」 「もしかして、『裾踏姫』か?」 「そうよ!『裾踏留めの呪術』に関われば、必ずあんたと関わるに決まってるわ。これ以上、あんたに関わったら、私、もっと変な子になっちゃう!」 「最初から変だったが……まあ、とりあえず話したくないって事か。分かった」 もちろん、俺達の会話が聞こえてないはずがなく、俺が伝える前に、すでに男は暗い表情でうつむいていた。 どんな事情があるのか知らないが、その落ち込み様に、俺は少し気の毒になった。 「なあ、俺でよければ力になってもいいぞ?」 「いえ……お気持ちは有難いのですが、これは、裾踏姫でなければ……」 男は表情だけでなく、声も暗くして返す。 「あの、私でよかったら、お話しを伺いましょうか?」 その場の重い雰囲気を払拭したのは、控えめな夏奈子の声であった。 「そうか!夏奈子も呪術を使えたんだ!オッチャン喜べ!夏奈子が協力してくれるってさ!」 俺が男の肩をパンパンと叩くと、男はキョトンとしながら夏奈子を見た。 「まさか、あなたも『裾踏姫』なのですか?」 「姫なんて大袈裟な者ではありませんけど、『裾踏留めの呪術』は使えます」 「本当ですか!?」 男は夏奈子に駆け寄ると、その手を固く握った。 「有難い!何とお礼を申し上げていいものやら!良かった!このままでは娘がさらわれてしまうところでした!」 「さらわれる!?」 夏奈子が過剰な反応を示したのも当然だ。夏奈子は総一郎をさらわれ、苦しい思いを経験しているのだ。  「いったい、何にさらわれるのですか!?襟掴神ですか!?」 「いいえ、違います。僕の家に来て、実際に見ていただいた方がいいと思います。出来れば、今日にでもお願いしたい。僕の家は遠いので、すぐにでも列車に乗ってもらえませんか」 「荷物ぐらい取りに戻ってもいいだろ?」 俺が言うと、夏奈子が驚いように俺を見た。 「望月さんも一緒に行ってくれるのですか?」 「ああ、夏奈子を一人では行かせられないだろ?オッチャン、俺も行っていいか?」 「はい、もちろんです。僕は海の近くで旅館をしています。何人いらしてもらっても構いません」 「よし、夏奈子、とりあえず荷物を取りに行こう。オッチャン、飯は心配しなくてもいいよな?」 「魚しかありませんけど、精一杯のもてなしをさせてもらいます」 「そうか、よろしく。じゃあ、夏奈子、行こう」 俺はいち早く歩き出し、誰にも気付かれぬ様にほくそ笑んだ。 男の歳からいって、娘とは、美奈や夏奈子と同じ年頃だろう。女の子と知り合いになる機会を得ただけでなく、学生には贅沢な海の幸まで付いてくるとなれば、頬も弛むというものだ。 今日ばかりは夏奈子が横にいる事もあり、俺は込み上げる笑いを我慢した。 『石井幸男』それが男の名前であり、石井の旅館は海の近くにあった。その旅館は二階建の古い日本家屋であり、かなり大きなものであった。 「なんか老舗って感じね」 美奈は旅館の前に立ち、感想を口するも、それに同調する者はいなかった。 「海に近いだけあって、磯の香りがするわ」 美奈は笑顔を振りまきつつ言ったが、やはり、それに答える者はいなかった。 「何よ!?何で、みんな無視するのよ!私をちゃんと見てよ!」 美奈は叫び、俺達が美奈に目を向けると、今度は顔を両手で覆った。 「そんな眼で見ないでっ!どうせみんな、『なんで、こいつ、ここにいるんだ?厄介事は嫌だって言ってたくせに、海の幸に目が眩んでノコノコついて来た』って、軽蔑してるんでしょ!」 「分かってるじゃないか」 俺が辛辣に言うと、横から石井が「まあまあ」と割って入った。 「僕としては、有賀さんお一人が増えたからといって、とくに困りませんから。むしろ、姫がお二人も来ていただけるなんて、有難いぐらいです」 「あまり甘やかさない方がいいと思うぞ。あと、裾踏姫を略して姫と言うの止めてくれないか。オッチャンが美奈を姫と呼ぶ度に、ギャップに腸がよじれそうになる」 「失礼ね!私がお姫様じゃ、何か可笑しいわけ!?」 「だから、笑わせないでくれ」 「目が全然笑ってないのが、もっと悪い!」 いつもの様に美奈が騒ぎ始め、俺が常として聞き流していると、石井が笑いだした。 「いや、失礼。有賀さんがあまりに元気がいいものだから。娘を助けるために、僕は何人もの裾踏姫に会いましたが、皆さん無愛想だったもので。血も涙もないと思っていました。でも、やっぱり裾踏姫も普通の女の子なんですね」 俺は石井の言葉に興味をひかれた。古来より神隠しから人間を守ってきた裾踏姫。記録に残る程だから、それなりの人数がいるのだろう。俺は他の裾踏姫について知りたくなった。 それは、美奈も同じだったようだ。 「石井さんは何人の裾踏姫と会ったの?」 「僕は娘を救うために方々を歩き、九人の裾踏姫に会いました。結局、その全てに断られてしまいましたが」 「ふーん。じゃあ、私のこと、誰に聞いたの?」 「最後に訪ねた裾踏姫が教えてくれました」 「その人、なぜ、私が呪術を使えるって知ってたのよ?」 「僕には分かりません。ただ、その裾踏姫はこう言っただけです。新たに誕生した裾踏姫を頼りなさい。彼女ならば助けてくれはずだと」 それを聞き、美奈が軽く鼻を鳴らした。 「ずいぶん買いかぶってくれたみたいね」 「でも、ちゃんとこうして、ここに来てくれました。感謝しています」 「あの……」 美奈の隣で黙って会話を聞いていた夏奈子が、控えめに口を開いた。  「疑問に思っていたのですが、石井さんはどのようにして、九人もの裾踏姫の居場所をお知りになったのですか?総一郎でさえ見つけられなかったのに」 「一番最初に会った裾踏姫からです。三ヶ月ほど前に、この旅館を訪ねて来たんです。僕の娘の噂をどこかで聞いてきたようで、僕に娘を救う方法を教えてくれたんです。ただし、自分は裾を踏む事が出来ない、他の姫の力を借りるようにと、九人の場所を教えてくれました」 「そうですか……」 夏奈子は少し沈黙し、それから再び口を開いた。 「でも、その裾踏姫、教えるだけで、自らは踏まないとは、親切なようで親切ではありませんね」 「でも、僕はそれだけでも助かりました。さあ、ここで立ち話もなんですから」 石井はそう言うと、俺達を旅館へ招き入れた。 俺に割り当てられた部屋は、美奈や夏奈子の部屋からは遠い所にあった。俺はすぐに独りでいる事に飽きると、目的もなく部屋を出た。 この旅館には、俺達の他に客はいないらしく、聞こえるのは自分の足がきしませる床板の音だけであった。 俺がブラブラと廊下を歩いていると、別の廊下に突き当たり、その床には鈍く光るチェーンが左奥から右奥へと伸びていた。左奥は雨戸が閉められ、昼でも薄暗い。右奥へ伸びるチェーンは『女湯』の札がかかった扉の隙間へと続いていた。 (ふむ……) 俺はチェーンを手に取り、グイっと引いてみた。すると、女湯の方から「きゃあっ!」という悲鳴とともに、洗面器がカラーンと落ちる甲高い音がした。 (ふむ) 俺は試しにもう一度グイっと引いてみた。 女の子の「やめてー!」という声が、浴室内に反響するのが聞こえた。  (ふむ) このチェーンの先端には、何か非常に良いものがついているに違いない。俺はそう推察し、次に、このチェーンを引くべきか、引かざるべきかを考えた。そして、引かねば一生後悔すると判断し、俺はチェーンをグイグイと引きはじめた。 最初は順調にたぐり寄せる事が出来たが、浴室の中から「負けるかぁああ!」という女の子の叫びが聞こえた瞬間、チェーンに抵抗が掛かった。 (ふんっ、無駄な事を!) 俺が渾身の力でチェーンを引くと、「嫌ァアア」という悲鳴と、脱衣場に人がドテッと倒れる音がした。 (そこまで来たか……さあ、後は扉一枚だ) 俺がさらにチェーンを引くと、脱衣場からはガリガリと床を爪で掻く音がした。 (無駄な抵抗だ!さあ、その姿、拝ませてもらおう!) 俺が嬉々としてチェーンを引いていると、不意に肩をポンポンと叩かれた。 振り向くと、眉間に深いシワを寄せた美奈と、冷たい視線の夏奈子が立っていた。 どのような詰問があろうとも、俺はただチェーンを引いていただけだ。言い訳のしようはいくらでもある。俺が余裕を持って待ち構えていると、美奈の口から低い声がポツリと漏れた。 「問答無用」 「えっ」 次の瞬間、俺のみぞおちには拳がめり込んでいた。 「……そ……んな……」 俺は熱弁をふるう間もなく、その場に崩れ落ちた。
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