第4話 赤いドレス

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第4話 赤いドレス

「本当ですか!?」 夏奈子はテーブルの向こう側から身を乗りだした。 「ああ、不動産屋にこの借家の解約をしに行ったら、家賃を下げてもいいってさ。だから、章介の代わりに俺が借りる事にした」 「じゃあ、私、総一郎の部屋に居る事が出来るのですか!?」 「そうなる。ただし!」 夏奈子が歓声を上げる前に、俺は釘を刺した。 「いつ来てもいいが、夜は自分の家に帰るんだ。親が心配してるはずだ」 「あの……私、一人暮らしです」 「え?そうなのか?」 初耳であった。 「はい。私の両親、冒険家をやっていまして、家に居ることが少ないのです」 「そうか、なら、家に帰らなくてもいいな。じゃあ、家事の当番を決めよう」 俺が提案すると、夏奈子は困惑したように「あの……」と言った。  「なんだ?まさか、炊事洗濯が出来ないとか言うなよ?」 「いいえ、そうではなくて、冒険家と聞いて驚かないのですか?今まで、驚かない人はいませんでした」 「いや、むしろ納得がいった。夏奈子のその行動力は遺伝なんだって。石井のオッチャンを助けたり、総一郎の所へ行こうとしたり、章介を誘き寄せるために京子を監禁しようとしたり、どれも並外れた行動力だ。そして今は、勇敢にも狼の巣へ飛び込もうとしている」 俺がニタニタと笑うと、夏奈子はにっこりと微笑み返した。 「狼?望月さんが?あり得ませんよ。望月さんは多少スケベですが根は優しい人です。出来たとしても、着替えを覗いたり、お風呂を覗くぐらいです」 夏奈子の考えは明らかに甘いものであった。俺はそれほど善良な男ではなかった。 夏奈子は今夜、俺に大切なものを奪われるだろう。そして、明日の朝、喪失感に打ちのめされるはずだ。それは明日だけではない。これから毎日、気怠い眠りから目覚めるたびに涙する事になるのだ。 (そう……毎朝、タンスの中の下着がどこかへ消えている事にな) (……なんか……小さいな……俺って) 自分の発想の卑小さに、俺が自己嫌悪に陥っていると、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。 「誰だ?」 立ち上がろうとした俺を、夏奈子が止めた。 「きっと、沙恵さんです。私が出ます」 「沙恵?沙恵がなんでここへ?」 「昨日、電話がありました。こちらへ伺うと」 夏奈子は居間を出て行き、それから、玄関の方で再会を喜びあう声が聞こえた。 石井の旅館から帰って来てまだ一週間も経っていない。女の子はずいぶん大袈裟に喜ぶものだと、俺が一人呆れていると、パタパタと二つの足音がこちらへ向かって来た。  夏奈子と一緒に居間に入って来た沙恵は、帽子を深くかぶり、背には特大のリュックサックを担いでいた。そして、手には布に包んだ長い物を持っていた。 俺はその長い物にしばし目をとめ、それから、沙恵のパッチリとした目と視線を合わせた。 「よお、沙恵、久しぶりだな。そのリュックサックは何だ?家出なら喜んで泊めやるぞ」 「誰があんたの家に泊まるもんですか。リュックの中身は荷物じゃなくて私の髪よ」 沙恵がリュックサックを肩から外すと、ドシンと音をたててリュックサックが落ち、中から銀色のチェーンがジャラリとこぼれた。 「あー、重かった」 沙恵は肩をさすりながら床に座った。 「髪が伸びたのか?」 開かずの間に引かれていた時は、年々縮んでいると言っていた。 「そうよ。鬼から解放された後、今度は伸び始めたの」 沙恵が帽子をとると、銀髪が露わになり、それは先端にいくほど硬質となり、最後は寄り集まりチェーンとなってリュックサックの中へと続いていた。 「しかし、すごい長さだな」 「だから、ここに来たの」 「つまり、望月さん、沙恵さんは散髪に来たのです」  夏奈子が補足し、そこで初めて俺は、沙恵がなぜアレを持って来たのかが分かった。 「私の髪は普通の刃物じゃ切れないの。切れるのはコレだけよ」 沙恵はそう言うと、長い包みを解きだした。そして、中から現れたのは、俺の予想通り冥府刀であった。 それは、腐泥門を呼び出す刀であり、ひとたび振ると、たちまち使った人間は泥にのみ込まれ、冥府へ送られるというものだった。この刀を使い、無事でいる方法は、裾踏姫の『裾踏留めの呪術』によってその場に呪縛してもらう事だけである。 「なるほど。つまり、俺が冥府刀で沙恵の髪を切り、俺が腐泥門に沈まぬように夏奈子が裾を踏むってわけか」 「あんた、カットできるの?」 「俺しかできないだろ?どんなカリスマ美容師だって、足下に腐泥門が現れた逃げ出すぞ。じゃあ、浴衣を着てくるから準備しててくれ」 俺が一旦居間を出て、再び戻って来ると、床には新聞紙が敷き詰められており、その上に椅子が設置されていた。 そして、そこには沙恵が座っていた。 俺は長い裾を引きずりながら沙恵に近づき、冥府刀を手に取った。そして、鞘から刀身を引き抜くと、俺の足下にはたちまち肩幅大の泥沼が現れた。 刀を振らない限り、沈み込む事は無い。俺は慌てる事なく、夏奈子に向かって頷いた。 「夏奈子、頼む」 「はい」 夏奈子は背後から近づき、そっと裾の上に乗り、俺に『裾踏留めの呪術』をかけた。 俺は肩慣らしのために刀を二、三回振った。 「よーし、沙恵、どんな髪型がお望みだ?」 「シャギーでポップなやつにしてちょうだい」 「斜切りでポップだな。よし、わかった」 俺が意気揚々と刀を上げると、沙恵がパッとこちらを振り返り、手の平を俺に向けた。 「ちょっと待って!やっぱり、なんか不安だわ。写真見せるからその通りに切って」 沙恵はそばに置いてあったファッション雑誌をパラパラとめくり、あるページで手を止め、それを俺に向けた。 そこには、精巧なハサミと繊細な指先にしか創りだせないような、芸術品ともいうべき髪型をした女性が微笑んでいた。 俺が自分の手を見下ろすと、そこには、無骨で肉厚な太刀と、折り紙ぐらいしか切った事のない指があった。 「どう?できるの?」 「……まかせろ」 「なんか、今、嫌な間があったけど?」 俺は安心させるため笑顔を作った。 「大丈夫だ。さあ、始めるぞ」 背後から、夏奈子の何か言いたそうな気配を感じたが、それも、俺が髪に刃を入れたとたん、息を飲む音とともに消えた。 俺はスパスパと髪を切っていき、やがて、沙恵の髪型は、斜切りでポップなものになった。 「…………」 「…………」 「どうしたの?二人とも?」 「…………」 「…………」 「ねえ?」 「…………」 「…………」 「ちょっと、鏡見せて」 この後、沙恵の上げた悲鳴は数日の間、耳鳴りとして俺を悩ませる事となった。
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