第5話 天女の湯

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第5話 天女の湯

これから書く話は、俺が祖父の田舎の温泉へ行った時の話である。  その温泉は、祖父の村を囲んでいる山々の中で、最も大きな山の中腹にあった。 何の娯楽施設もない、脱衣場があるだけの温泉だが、俺はその温泉が気に入っていた。 なぜなら、その温泉には、まず人が来ることがなく、心からリラックスできるからである。 (俺って大人だな) などと考えながら俺が山道を登っていると、木々の間に小屋が見えてきた。 秘湯中の秘湯『天女の湯』である。 俺は山道を登りきり、小屋の前に立った。小屋の入口は二つあり、それぞれのドアには『男』『女』と札がかかっていた。 誰もいない女湯などに用はない。俺は素直に『男』のドアを開けた。 「本当に誰もいないな」 広い脱衣場はガラリとしており、壁ぎわに置かれた棚には空のカゴばかりがずらりと並んでいた。 「まあ、それが良いとこなんだがな」 俺はさっさと服を脱ぐと、脱衣場から露天へ出た。 竹の柵で囲まれた岩風呂からは湯気がユラユラと立ち上っており、覗き込むと、湯の色は身体に良さそうな乳白色であった。 「ふむ」 俺は足の先端を湯につけ、熱さを確かめてから、ザブンと全身を湯につけた。  「くっ」 手の傷に湯がしみたが、それも最初だけで、すぐに気にならなくなった。 俺は全身を伸ばし、ふーと息を吐くと、ゆっくりと目を閉じた。 「ん?」 俺は眉を寄せた。 木々の葉の擦れ合う音、鳥の鳴き声などに混ざり、人の声が聞こえたからだ。それは若い女性達の声で、徐々にこちらへと近づいてきていた。声から、3、4人ほどであることが分かった。 「物好きもいるもんだ」 無心で湯を楽しみたかったが、こうなっては仕方がない。俺は湯の中を移動し、男湯と女湯を隔てる柵の方へと座る位置を変えた。      やがて、女の子達は小屋へと到着し、更衣室に入って来た。そして、それまで静かだった『天女の湯』は、にわかに騒がしくなった。 「やだ、ちょっと、また大きくなったの?」 「そうなのよ。困るわ」 「私にも少しわけなさいよ」 「自分で育てなさい」 脱衣場でワイワイキャッキャッと話す女の子達。俺が鼻の下を伸ばしながら聞き耳をたてていると、彼女達の足音が露天へと出てきた。 脱衣場であれほどの会話である。湯の中ではもっと赤裸々な歓談がなされるものと、俺は生唾をゴクリと飲み込んだ。 だが、女の子の第一声は味気ないものであった。  「指輪ぐらい外して入りなさいよ」 期待はずれの展開に俺は肩を落とし、怒りがムラムラとわいてきた。 その指輪のせいで、会話の流れが変わるかもしれないのだ。誰々に送られた物などと、のろけ話になってはたまったものではない。 「ウフフ……ウフフフフ」 女湯から聞こえてきたのは女の子の含み笑い。やはり、のろけ話になりそうである。 (そんなもんに付き合ってられるか) 俺が湯から出ようとした時、突如、含み笑いは高笑いに変化した。 「ただの指輪だと思ってもらっちゃ困るわね!これはね、効能を増幅する力がある指輪なの!この温泉の効能はツルツル美白効果。だから、この指輪をつけて温泉に入れば、たちまち肌はツルツルなのよ!ツルツルー!」 どこかで聞いたような話であった。 (……) 俺はもう少し様子をみることにした。 「うそつきなさい。そんな指輪があるわけないわ。どこで買ったの?」 「買ったんじゃないわよ。これはね、私の家の家宝なの。サッカー部で日焼けした肌も、すぐにツルツルの美白になるわ」 「うそよ」 「うそじゃないわ」 「じゃあ、ちょっと湯から立ってみなさいよ。本当に白くなったか見てあげる」 「いいわよ!本当にツルツルなんだから!」 ザバーー  ツルッ! ゴチン! 「ちょっと!?美奈ーー!」 急に慌ただしくなった女湯をよそに、俺はゆっくりと目を閉じた。 シクシク……シクシク…… 女湯は静まり返っており、聞こえてくるのは美奈の泣き声だけであった。 「ね、ねえ、美奈」 やがて、女の子の一人が困惑したように言った。 「と、とりあえず、もう帰ろうか?」 「か、帰れないわよ。こんなツルツルの身体で一生過ごせって言うの!?抱きしめたら、腕の中からツルッとすっぽ抜ける女なんて、誰がお嫁にしてくれるのよ!?ウナギじゃないのよ!?な、なんとかしなきゃ!」 「な、なんとかって?」 「えーと、以前は確か、ご利益を破壊したわ。今度も効能を破壊すればいいはずよ」 「効能を破壊?どうやって?」 「えーと、そ、そうだ!あいつ、あいつなら何とかしてくれるわ!ごめん、足裏がツルツルで滑って動けないから、代わりに私の携帯持ってきて」 「助けを呼ぶのね?」 一人が脱衣場へ走り、すぐに戻ってきた。  「はい、美奈!」 「ありがと!」 ピ・ポ・パ ツルッ! ポチャン 「嫌ァーーー!携帯がーー!」 女湯から上がったその悲鳴に、俺は湯の中で深くため息をついた。 「……グス……ひっく……」 「み、美奈、誰を呼ぼうとしていたの?」 「……ひっく……も、もちづき……たくろう……」 「ああ、望月拓郎ね」 「なっ!?」 泣き声はピタリと止まった。  「な、なんで、あなた達が望月拓郎を知ってるの!?」 「学校じゃ有名人よ」 「なんで!?」 「美奈の彼氏だから」 「ソレ今日の出来事で最も嫌ァーーーー!」 「照れるなよ」 「照れてないわよ!」 「ちょっと、美奈、今の私じゃないわよ」 「え?」 「美奈、男湯から声が……」 女湯はとたんに静かになり、こちらをうかがう気配が感じられた。 別にやましい事をしていたわけではないので、俺は平然と声を出した。 「俺だ、望月拓郎だ」 「た、たくろう?」 「ああ、そうだ」 そう答えた直後、女湯からキャアーという黄色い声が上がった。 「美奈の彼氏がいるんだって!」 「見たい!見たいーーー!」 「学校で自慢できるわ!」 女湯はちょっとしたパニックとなり、慌てたような美奈の声がそれに混ざった。 「ちょ、ちょっと、だから違うって言ってるでしょ!?あんたも何でここにいるのよ!?」 「温泉にいるんだから、湯に入りに来たに決まってるだろ。俺なんかのことより、問題はお前だろ?どーやら、また俺の助けが必要みたいだな」 「え?な、なんとかなるの?」 「なんとかしなきゃ、お前は一生ヌルヌル女だ」 「ヌルヌルじゃないわよ!スベスベよ!」 「どちらとて同じ事だ。とにかく、そっちへ行く。みんな服を着て待ってろ」 俺がそう言うと、女湯から歓声が上がった。  「ついに、噂の彼を見られるわ!」 「写真撮らなきゃ!」 「これでしばらく話題にこと欠かないわ!」 (ふん) どのような噂があるかは知らないが、彼女達はまもなく、俺が噂以上の男だと知る事になるだろう。 俺は口の端を上げ、湯から出た。
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