第2話 神隠し

1/6
571人が本棚に入れています
本棚に追加
/124ページ

第2話 神隠し

満月の夜には神隠しが起こる  神が人を連れて行くのだ 襟首を掴んで連れて行く神もあれば 袖口を引いて連れて行く神もいる 神から人を守る方法はただ一つ 着物の裾を踏み、人をその場に呪縛する事 「裾踏留めの呪術」 呪術を駆使する少女達の名は 裾踏姫 その日、俺は大学に着くと、唯一コピー機が設置されている図書室へ向かった。いつもの事ながらコピー機には順番待ちの列が出来ており、俺はその最後尾に並んだ。 やがて、俺の順番となり、俺はレポートに使うための資料をコピー機へセットした。そして、スタートボタンを押そうとしたまさにその瞬間、ポケットの中で軽快なメロディが流れた。 図書室は携帯電話厳禁で、いくつもの鋭い視線が俺に集中した。 俺はコピー機から慌てて資料を掴み取ると、図書室を飛び出した。 ポケットから取り出した液晶画面を見て、俺は肩を落した。そこに表示されていたのは『矢崎章介』という名であった。 章介はサークルの後輩であり、章介の電話が重要な用件であった例はない。俺は順番待ちを台無しにされた恨みを指先に込めて、通話ボタンを押した。 『拓郎さん?矢崎です』 「知っている。今、その名を心の中で復唱してるからな。胸に痛みとか走らないか?」 『なんですかそれ?呪いですか?』 「そうだ」 『相変わらず暇そうですね』 「暇じゃない。さっさと用件を言え。くだらない用件だったら怒るからな」 『ちょっと頼みがあるんです。しばらくの間、先輩のアパートに泊まらせてもらえませんか?』 「断わる。コピーだけじゃなく、俺の私生活まで邪魔するつもりか?」 『頼みます。今日から泊まる所が無いんです』 「借りたばかりの家はどうした?一週間も経たず家賃が払えなくなったのか?学生が戸建ての借家なんて贅沢な物を借りるからいけないんだ」 『お金なら足りてますし、借家も手放していません』 「だったら何だ?」 『説明します。だから泊めてくださいね。今、大学ですよね?これから学食で会いませか?』 「性急だな」 『当然です。今夜の宿が無いんですから。コーヒーおごりますから来てください』 「後で俺の代わりにコピー機へ並ぶか?」 『何でもしますから』 「分かった。じゃあ、学食で会おう」 俺は通話を切ると、携帯電話をポケットに入れ、学食へ向かった。 朝の学食は空いており、俺はすぐに章介を見付ける事が出来た。 章介のテーブルには、すでに湯気の立つコーヒーが二つ用意されていた。 「あっ!こっちです」 章介は俺に向かって手を振り、俺はテーブルを挟み、章介の向かい側に座った。 「それで、どーしたんだって?」 「実は、昨夜、妹との間に問題が発生しまして、居られなくなったんです」 「妹?妹なんていたのか?」 「ええ、一週間前、僕がアパートから借家に引っ越したのは、妹の提案だったんです。妹は短大に通っていて、僕のアパートから数駅離れた所に住んでいました。妹が、二人で別々にアパートを借りるより、借家を借りた方が安いと言ったんです」 興味を惹かれる情報であった。章介は顔立ちの整った男で、その妹ならば期待が持てたのだ。 ただし、ここでがっついてはいけない。俺があからさまに興味を示せば、兄である章介は必ず警戒するはずだ。俺は章介に警戒心を抱かせないよう、会話の流れに沿って、ごく自然に妹の情報を得る事にした。 「なるほど。章介の家には妹がいるんだな。そして、昨夜、馴れ親しんだ妹の名に問題が発生したんだな?よし、さあ、名を教えろ。どこが問題なんだ?」 「先輩、いきなり会話が変ですよ」 「……」 「分かりやすい人ですね。まあ、別に、隠してるわけじゃないから教えますよ。京都の京と子で京子です」 それを聞き、俺の頬が自然と弛んだ。 「京子ちゃんか、可愛い名前じゃないか。その京子ちゃんと何の問題があったんだ?」 「先輩に分かりやすいように、一週間前の出来事から話しますね」 「ああ」 「先輩は数ヶ月前に僕が中古車を買ったのを知っていますよね?」 「ああ、記憶している。羨ましくて、妬ましくて、ひがんだ覚えがある」 「先輩、暗いですね」 「いいから先を続けろ」 「分かりました。一週間前、僕らが借家へ引っ越したその夜に来客がありました。チャイムが鳴り、ドアを開けると、制服姿の女子高生が立っていたんです。彼女は僕を見て驚いた様子でした。それから、彼女はガレージに停めてある車が僕の物かどうかを聞いてきました。僕が『そうです』と答えると、彼女は、僕が車を買った時の状況と、借家に引っ越してきた経緯を知りたがりました」 「教えたのか?」 「ええ、だって相手は女子高生、警戒する事もないでしょう?それで僕が教えてあげると、彼女は僕の家のいわくを教えてくれました」 「いわく?お前の借家、いわく付きだったのか?」 「そうなんです。彼女の話だと、借家になる前はある家族が住んでいて、その中学生だった息子が、ある日、部屋から忽然と姿を消してしまったらしいです」 「失踪したって事か?」 「そうです」 章介は指先でテーブルをなぞり、『総一郎』と書く。 「その息子、名前を総一郎といって、総一郎君の両親は家出や事件、あらゆる可能性を考えて血眼になって探したそうです。でも、見つからず、世間では神隠しと噂されるようになりました。そして失踪から一年、失意のうちに家族はその家を出ていったそうです」 「おいおい、わずか一年で息子を諦めたのか?」 「金銭的な問題です。父親の事業が失敗し、家を保持出来なくなってしまったんです。その後、家は不動産屋に渡り、借家となったわけです。そこに僕が引っ越してきた」 「ふーん、なるほど。じゃあ、その女子高生は、わざわざそれを教えるために来たのか」 「僕もそう思って礼を言ったんです。そしたら、彼女は、『もうすぐ総一郎が戻って来る。だから、総一郎の部屋に泊まらせてください』って言ったんです」 「なんだ、それは?」 「どうやら彼女、その総一郎君のガールフレンドだったみたいです。僕が『何で戻って来ると思うんだい?』って問うと、『車が帰って来ました。この家は昔に戻ろうとしています』って答えたんです。僕、訳が分からなかったんで、詳しく聞きました。そしたら、気味の悪い事が分かったんです。僕が買った中古車、元々は総一郎君の家族が乗っていた車だったんです。つまり、車は時を経て、再び元の家へと戻ってきたんです。僕の手によって」   「なるほど。彼女はそれが偶然じゃなく、何らかの力が働いていると考えたわけだ。家が昔の状態に戻るなら、そこに住んでいた息子も戻るはずだと。ボーイフレンドが部屋に戻ってくる予兆と捉えたわけか」 「そうなんです。ちょっと気味悪いけど、彼女、いい子だと思いませんか?消えた恋人の帰りを心から待ってるんです。だから、彼女の希望通り、総一郎君の部屋に住まわせてあげる事にしたんです」 「まさか、お前も本気で総一郎とやらが帰って来ると思ってるのか?」 「分かりません。でも、帰ってきて欲しいと思います。恋人の再会、そんな場面を見たらきっと泣けますよ」 「他人のノロケを見て何が楽しい?どうかしてるぞ?」 「でも……もう見れないかもしれません」 章介が急速に表情を翳らせた。 「どうした?」 「京子と彼女、ずっと仲良くしていたんですが、昨夜、僕が大学から帰ると、大喧嘩していたんです。それはもう、すごい喧嘩でした。僕、あんな京子を見たのは初めてです。そして、その喧嘩の最中に、僕は京子に家を追い出されたんです。兄である僕に向かって『戻ってきたら殺す』なんて言ったんです。あの優しかった京子がですよ?」 「ちょと待て。京子ちゃんとその彼女の喧嘩だったんだろ?なんで、お前が追い出されるんだ?」 「僕にもさっぱり分かりません。喧嘩の原因も知りませんし。とにかく、あの家には帰れません。先輩のアパートに泊めてください」 章介は俺に向かって深々と頭を下げた。 俺はしばらく考えた後、一つの提案をした。 「お前が追い出されたのは、その喧嘩が原因なのは確かだ。とにかく、俺がその家に行って、二人の喧嘩の仲裁してみる。それでダメだったら、章介をアパートに泊まらせてやる。これでどうだ?」 「助かります。ありがとうございます」 「いや、いいさ。それより、その彼女の名前は何て言うんだ?まだ聞いてないぞ」 「彼女の名前はカナコです」 「分かった。じゃあ、今日の夕方、またここで落ち合おう。それから借家へ案内してくれ」 「はい、分かりました」 俺は章介と約束を交わし、学食を出た。 そして、十分に学食から離れると、俺は込み上げる笑いを口から吐き出した。 俺は章介の事など何一つ心配などしていなかった。俺が借家を訪れるのは、そこに自分の部屋を確保するためである。仲裁にかこつけて、章介の羨ましすぎる生活に入り込むのだ。多少のトラブルが存在していても、二人の女の子と一つ屋根の下で暮らせるなど夢の様である。 俺は講堂を目指しながら、なおも笑い続けた。 日が暮れた頃、俺と章介は住宅街にある借家に辿り着いた。一階の窓からはカーテンを透して明かりが漏れており、内に人がいる事が分かった。 「先輩、あそこは居間です。だとしたら京子がいます」 「じゃあ、夏奈子は?」 「夏奈子は帰っていないようです。ほら」 章介はそう言うと、二階の暗い窓を指差した。 「あのベランダのある部屋か?」 「そうです。彼女はあの部屋で生活しています」 「彼女は総一郎の部屋で暮らしているんだな?」 「そうです」 「ふーん、あそこから総一郎はいなくなったのか。でも、神隠しは大袈裟だな。あそこからなら飛び降りる事も出来る」 「それは無理です。窓には鍵が掛かっていたそうですから。それより、先輩、今は神隠しより京子を何とかしてください」 「ああ、分かっている」 俺は二階の窓から玄関に視線を下ろし、ドアへ近寄った。 「じゃあ、先輩、お願いします」 章介は京子が余程恐いのか、ここまでが限界といった様子で、家の敷地から出て行った。 章介とは逆に、俺はウキウキとした気分で呼び鈴のボタンを押した。 チャイムが鳴り響いた後、家の中からパタパタとスリッパの音が聞こえ、ガチャリと錠が外された。 俺はドアを開け、そこに立っている女性を見てニンマリと笑った。俺の予想通り、章介と同じ血が流れているだけあって、京子はなかなかの美人であった。 「初めまして」 俺は弛んだ口元をきゅっと引き締め、挨拶をした。この家に部屋を確保するには、誠実さを印象づけなくてはならない。似ているとは言え、仲裁を交際と言い間違えるような事は絶対にあってはならないのだ。 (仲裁仲裁仲裁仲裁ちゅうさい!) 「俺は望月拓郎。君の兄さんの先輩だ。兄さんに頼まれて、俺の努力で何とかチュウ出来ないものかと思って来た」 「最悪」 「違う、交際だった」 「あなた、自分が何を言ってるか分かってる?」 もはや、俺は下唇を噛み締め、うつむく事しか出来なかった。 「まあ、いいわ。下心が見え見えだけど、兄さんに頼まれたのは本当なんでしょ?兄さんの事も知りたいから、入って」 「なんだ?章介の事を心配してたのか?」 「まあね」 「だったら、何で追い出したりなんかしたんだ?」 「この近くに兄さんがいるんでしょ?兄さんに聞かれたくないから家に入って」 どうやら、京子は憎いから章介を追い出したのではなく、別の理由からそれをしたようであった。俺は京子に誘われ、家の中へ入った。
/124ページ

最初のコメントを投稿しよう!