トカプチという名

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トカプチという名

 ずっと隠し通してきた俺の本当の名は、トカプチ。「トカプチ」とは、俺の国の言葉で「乳」を意味する。  実は我が家には代々、男でも女でも胸から乳を出せるという特異な体質を持つ人間が稀に生まれるという秘密があった。そしてその乳を出す赤子は成長すると十六歳前後で、この世界の第二性であるオメガ(Ω)になるとのことだった。  俺の場合、母がその体質を持ったオメガだったが、幸いにも強く優しいアルファの父と巡り逢い、平和で幸せな家庭を築き上げていた。ただ……その母の特異体質は一人息子である男の俺に、見事に受け継がれてしまった。  幼少期に俺の胸から白いミルクのような匂いの汁が少しずつ滲み出てくるのが怖くなり、母を問い詰め事実を知った時の衝撃は今でも忘れられない。  男なのに乳を出す機能が躰にあるなんて……  幼心にも恥ずかしく、それからはずっと隠して生きて来た。まして男でも妊娠する可能性があるオメガになる運命だなんて、どうしても受け入れ難かった。  俺のこの躰の異様な仕組みは肥沃な大地を持つ酪農の盛んなこの土地と何か関係あるのか。原因は未だに不明だ。    悩んだ俺は母と相談して名を「トーチ」と変え、必死に乳の匂いが漏れないよう白いさらしをぐるぐると胸に巻いて秘密を隠し通してきた。  だが思春期になった今、いよいよそんな方法では抑えきれなくなってしまった。もう乳臭い甘い香りがオメガ特有の発情期のフェロモンと混ざって漏れ出すのは、時間の問題だった。  それにここ最近、胸からの分泌物が増えるにつれて、俺の躰はどんどん変化していた。  まず今まで食べていたものが、美味しく感じられなくなった。何を食べても食欲が湧かず、どんどん食が細くなり痩せてほっそりしてしまった。躰もどことなく丸みを帯び、もともと色白だった肌はもう一段階明るくなった気がする。 「最近のトーチは、なんか妙な色気があって可愛いよな」 「だよなーなんでお前は日焼けしないんだ?背もあまり伸びないし、腰なんて女みたいに細いじゃないか。そんなんで女を抱けるのか。なんなら俺が試しに抱いてやってもいいぞ。トーチならいけそうだ」 「やめろ!ふざけるなっ、変なことばかり言うな!」 「悪い悪い!だってお前さぁ、なんかいい匂いするから」 「いいから、もう離れろ!」  クンクンと鼻を近づけてくる奴らに、嫌悪感が募っていく。  ここは皆、顔見知りの狭い集落だ。だから男なのに……共に成長してきた周りの男の誰かに抱かれ妊娠させられる可能性があるかと思うと、とてつもなく憂鬱な日々だった。  実際、俺の躰は明らかに同年代の男と差が出始めていた。  もっと逞しくなりたいのに、いつまでもたっても細いままだ。色素の薄い乳白色の肌。薄い茶色の髪。もともと母親似だったが最近はますます似てきて、もう全部嫌だ。  だが……まさかそんな悩みなんて吹っ飛ぶ、青天の霹靂のような事が我が身に降りかかるなんて。こんな大陸の最北、極寒の地に攫われるとは思ってもいなかった。  
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