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温かなまなざし
三十代になったばかりの倉科は、職場では若手の中堅どころに入ろうという世代だ。自分の仕事については一通りのことをこなし、後輩の面倒をみることもだんだんと増えている。物腰が柔らかく、勢いで業績を上げるというよりはむしろ、相手の懐に入って信頼を勝ち得ていくタイプだ。物事を分析する能力に長けているため、相手の要求を的確に把握し、アプローチしていく。
毎年、新しい社員が倉科の部署にも入る。営業の立場からすれば、事務的なサポートをする新入社員がどの程度の事務処理能力があるか、一緒に仕事しやすいかは気になるところだ。二年前、配属されたばかりの佐倉を見た時、セミロングの黒髪と柔和な顔立ちがどこか儚げで、忙しい仕事についていけるかなと心配したものだ。
実際仕事をしてみると、佐倉は的確に事務処理を行ってくれるし、仕事の無茶ぶりに対しても、嫌な顔することもなく可能な限り便宜を図ってくれる。お礼の言葉を言うと、はにかんだような笑顔を返してくれる。
あまり感情を出さないタイプと思ってみていたが、ある時から彼女の目線が特定の社員を追っていることに気づいた。そして、その社員と話した後に見せる切ない表情。
ーー原田のことが好きなのか。
仕事の上では、後輩ながらも営業成績はトップクラス、仕事上では信頼のおける奴だが、女性関係になると自分がモテることを自覚しているため、あまり一人の相手と長く続いたためしがない。そんな相手が佐倉の手に負えるはずがない。
ただ、佐倉が時折見せる笑顔をもっと見たいと思うようになっていた。
あの親睦会の日、今にも泣きだしそうな佐倉の顔を見て、追いかけて傘を差しかけたのだが、余計なお世話だったかなとため息をついた。
それから数日は、仕事の関係で二人はすれ違いが続いていたが、金曜の昼休憩、人もまばらなオフィスで話しかけられる。
「倉科さん、あの……」
倉科がパソコンから目を上げると、佐倉が目の前に立っていた。
「この前は、すみませんでした。あの時のタクシー代です」
そう言って、封筒を渡そうとする。その律儀さには感心するものの、倉科の立場からすると、受け取れない。
「あれはいいよ。自分の判断でしたことだから、気にしないで」
「でも……」
「本当にいらないから」
それでも納得のいかない様子の奈々子を見て、倉科は何かを思いついたようだ。
「君がどうしてもお礼をしたいっていうのなら、そうだな……日曜日、行きたいところがあるからつきあってもらえるかな」
「えっ?」
「日曜日の十時に君のアパートの前に迎えに行くから、待ってて」
そう言うと、メモに何かを書いて、佐倉に渡す。
「これ、僕の携帯番号。変更があったら電話して」
「そんな、困ります……」
いきなりな話に戸惑っていると、昼食を終えた同僚たちが戻ってきたので、話すタイミングを失う。
「じゃあ、よろしく」
程なく昼休みが終わると、困惑した気持ちを抱えたまま、奈々子は午後の仕事に取りかかった。
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