173人が本棚に入れています
本棚に追加
梅雨入り
季節は六月初旬。
朝から強く降りしきる雨のせいで学校に辿り着く頃にはベージュのズボンがびしょ濡れになり、気持ち悪かった。
「ふぅ参ったな。初っ端から風邪ひきそうだ」
ため息をつきながら来客用の靴箱の前で水滴を落としていると、懐かしい声が降ってきた。
「お前……水嶋雫?」
はっと顔を上げると、懐かしい人と目が合った。
「おおっやっぱり水嶋か!久しぶりだな。それにしてもずぶ濡れじゃないか」
声を掛けてくれたのは、僕が高三の時の担任、笠井先生だった。
「あっ……お久しぶりです。その、雨が酷くて」
「学校までの道は吹きっさらしだからオレもいつもそうなるよ。なぁそのズボン着替えるか。オレの貸してやるから更衣室に来いよ。水嶋は風邪をひくとまずいだろう?」
「えっ大丈夫です!それにもう……僕はそんなに弱くはありません」
「あぁそうか、手術したもんな。すまない……余計な事を」
僕が先生の衣類なんて今更借りられるはずないのに……その無神経さに少し腹が立つ。
「そう言えば今日から教育実習だったな。実習予定者の中に『水嶋』の名を見つけた時は嬉しかったぞ」
「……そうですか」
「精一杯、頑張れよ!」
「……ありがとうございます」
笠井先生は少し歳を取り落ち着いた雰囲気になっていた。去年子供も生まれたそうだし当然か。でも久しぶりに会った先生を前にすれば、やはり当時のことを思い出してしまう。
馬鹿なのは僕だ。
完全に振られた相手への行き場のない報われない恋なんてものを、いつまでも抱えて未練がましく同じ国語科の教師を目指すなんて。
「はぁ……やっぱり鬱陶しい季節だ」
今年は例年より梅雨入りが一週間ほど早いと朝のニュースで流れていたな。新聞の天気予報も向こう一週間は傘マークがずらりと並び青色に染まっていた。きっと教育実習期間中は、ずっと雨模様だろう。
廊下を歩きながら校舎の窓を横目で見ると、大粒の雨が容赦なく吹き付け、まるであの日の僕の心のようにぐっしょりと濡れていた。
でも今は過去を思い出している場合じゃない。僕はもうあの頃とは違う。身体が弱く学校を休みがちで部活動にも参加出来なかった惨めな高校生ではない。今日から教育実習で母校に二週間厄介になる身だ。気を引き締めていかないと。
最初のコメントを投稿しよう!