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各所にアルコール消毒液や抜け毛対策の粘着ローラーを置いたり、間違っても入り込まないように、作業効率を優先して開け放してばかりいた厨房の扉を必ず閉めたり。
今まで以上の掃除の徹底と、基本的に業務中は猫に触らないこと、もし触ったら、手洗いで済まさず着替えもすること。表の張り紙に明記すること――そんなことを超えて、チャコは今もここにいる。
猫嫌いで一時離れてしまった馴染み客も、サンルームから出てこないことや空気清浄機も置いたことなどに安心して、やがて戻ってきてくれた。
「結果的には来客数も増えたし」
「招き猫だね」
そう楽しそうに言う彼女は、自分がチャコの一番の成果だということに気付いているだろうか。
俺ら家族にしか懐かないチャコが、初見で寄っていった。
大人しく、どころか気持ちよさそうに撫でられて抱かれているのを見て、どれだけ驚いたか。
特別視するのはどちらが先だったろう――俺と、チャコと。
夜も食べに来てくれるが、チャコがいることの多い昼間の店の方が彼女は好きらしい。
というか最近は、夜は母屋の方で、ばあちゃんと楽しそうに着付けやら何やらしていることもあって、そっちでチャコと会えるから満足なのだろう。
……どうにもばあちゃんには、毎度先を行かれている気がして仕方がない。
「あ、起きた。おはよ、チャコ」
丸まって寝ていたクッションの上で伸びを始めたチャコに向かって、嬉しそうに話しかける。
サンルームのガラス越しに降る日差し、中庭の緑。
柔らかく微笑む彼女へゆっくりと向かう猫は、やがて膝の上に落ち着くと、そっと背を撫でる手に満足そうにゆったりと長い尻尾を揺らす……喉の奥が詰まるような、光の繭に包まれた憧憬のような。
俺の視線に気付いた彼女が、少し照れくさそうにする。
「え、な、なに? 何かついてる?」
口元を気にしてお手拭きを探そうとした手に、自分のそれを上から重ねる。相変わらず、小さいな。
恋も結婚も、自分には関係ないと思ってきたけれど。
「いや――何かいいな、って」
こういう日常なら何をしても手に入れたいと、ごく自然にそう思った。
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