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 正直、何を話して彼女の前に座ることになったのか、よく覚えていない。 ただ、彼女の腕の中で甘える猫に、言いようもない感情を抱いたことは確かだ。  猫相手に嫉妬とか、俺は阿保か。しかもチャコは雌だってのに。  ばあちゃんが言った通り、確かに似ている。  目の形とかだけではなく、何となく全体の雰囲気が近い気がする。チャコを人にしたら、もしくは彼女が猫になったらこんな感じ……って、俺は何を考えているんだ。  そうは言っても、チャコが初対面でこんなに懐くのも、同類もしくは家族と思っているんじゃないだろうか。  物件チラシの地図をなぞる小さい手、小さい爪。本当に同じ人類かと思う。  猫を抱える腕だって、こんなに細くて折れるんじゃないか。お前がガッチリしすぎなんだとはよく言われるが。  にこやかに上がる柔らかそうな頬に、頷くたびに溢れる髪に、触れたい。  話すときにこっちの目をまっすぐ見てくる瞳を逸らせたくない。  ……湧き上がるこの独占欲は、一体何だ。  今、会ったばかりで名前も知らないのに。  この俺は、さっきまでの俺と同一人物なのか。  自分が自分でないような、こんなにぐちゃぐちゃな塊を抱えている俺に、疑いの一つも抱いていない眼差しを向けられて……思わず、自分を棚に上げて言ったことに実に論理的で常識的な返答をされる。  しかも言うに事欠いてこんな俺を「悪い人な訳がない」とは。  まるでこちらの心の底を覗かれて釘を刺された気分だ。また困ったことに、それが決して嫌ではないなんて。  いやしかし、それはダメだ。猫相手とはいえ、キスはダメだ。なのにそんな眼で見上げられたら、ああ、もう、どうしたらいいんだか。  そして、なにがどうしてこうなった。この至近距離はどうしたことだ。  ギリ触れていないが、このまま抱きしめてもいいかでもそうしたら壊しそうだし、なんだかいい匂いするしこれはバターか紅茶か違うなにか粉っぽいような花かもしかしてこれがシャンプーとか香水とかいうやつか!  ……セーフ。  よかった、通報されるような事態にならなくて。自分の自制心を褒めたい。怖がられていないだけでも奇跡なのに。  真っ赤な顔で泣きそうに言い訳をするのがいちいち可愛らしい。俺も赤いか、そうだな、自覚はある。 「千耶子さん」  初めて呼ぶその三文字がやけに熱を持つ。恥ずかしげに返事をするこの人と、もっと時間を過ごしたいと思う。  忘れそうになったスマホを渡した時に触れた指。人の肌は、あんな感触だったか。  動揺を残しながら去って行く背中を見送り、店内に戻った俺に訳知り顔で頷いたのは、ばあちゃんではなくじいちゃんだった。
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