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しばらくして、ようやく冬馬くんが足を止めてくれた。
そこはフロアのつきあたり。目の前の会場は今日は使われていないらしく、付近には誰もいない。冬馬くんは、向こうからは柱の陰になってちょうど死角になっているところにわたしを押し込んだ。
「どうしたの? 今日の冬馬くん、変だよ」
冬馬くんが急に艶めかしい顔になる。さらに、わたしの腰に手をまわしてくるので、これから先のことを想像して顔がカアッと熱くなった。
「ねえ、冬馬くん?」
なにも答えてくれない冬馬くんにもう一度呼びかける。
「シッ、黙って」
「とう──んっ……」
それから冬馬くんは唇を重ね合わせてきた。びっくりしすぎて抵抗を忘れてしまう。ゆっくりと丁寧に、だけどちょっとだけ遠慮がちなキスだった。
冬馬くんとはこれまで数えきれないくらいキスをしてきた。だけどすぐ近くに人がいるような場所でしたことは一度もない。いつもふたりきりになれる場所で、やさしくて甘ったるいキスばかり。こんな胸が苦しくなるようなキスは初めてだった。
唇を離した冬馬くんはなぜか切なそうに「ごめん」とつぶやいた。
「ほんとにどうしちゃったの? わたし、なにかしたのかな? 気に障ることをしたんなら謝るよ」
「輝はなにも悪くないから。俺が……」
「なに?」
「いや、なんでもない」
冬馬くんはそう言ったきり、黙り込む。
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