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すぐに門の前に車が数台用意され、一斉に使用人たちが乗り込んでいった。
荷物を入れる軍用車まで持ち出している。
私は全員のお見送りを済ませると、誰もいない屋敷の掃除に取り掛かる。
未だに食料不足が解決されず、食事は簡単な乾パンと水と豆のスープが殆どだった。
外では戦争反対の民衆と、戦争に賛成の民衆が道路を二つに分けて行進している。
道には軍用装甲車が歩兵を引き連れ民衆をかき分けながら国旗を掲げていた。
私は外を少し眺めながら一息つくと、仕事に戻ろとしたとき視界の端に一台の軍用車が門の前で停まるのが見えた。
急いでのぞき穴から確認すると、一人の男性が降りてきてこちらに向かって歩いてくる。
私は慌ててお出迎えの準備を始める。 幸いなことに掃除が終わってから白湯を飲もうとお湯を沸かしていたので、すぐに何かお飲み物は準備できそうだった。
給仕室へ入り急須に、先日購入したてのほうじ茶を用意した。
「ただいま…。 あれ? 誰もいないのか?」
お客様のお出迎えに遅れてしまった。
旦那様の顔に泥を塗るような行為はできないと、急いで玄関に向かうと軍服を身に纏った身長の高い男性が立っている。
そして、私は男性を見て驚いてしまった。
「お…、 おかえりなさいませ、信枚様」
「あ、うん…。 ただいま、えっと確か蜜だったかな?」
帽子からはみ出している前髪の奥から、優しい瞳が見え、面影は残っているが私の記憶していたご子息とは別人のようになっている。
身長は縮んだように思えたが、私が大きくなっただけで、変わらずスラっとしていながらも、軍人らしい体躯と整った顔立ちに、瞳と同じような透き通る声が魅力的だった。
それに、私の名前を覚えててくれたのは、凄く嬉しかった。
思わず飛び跳ねそうになったが、グッとこらえる。
「私のようなモノの名まで覚えてていただき、ありがとうございます。」
「いや、最初はわからなかったよ。 最後に会ったときはまだ幼さが残っていたが、これほど美人になるとは思ってもいなかった」
美人という聞きなれない言葉を投げかけてくる信枚様に、私は動揺を隠すように手荷物を持ち、応接間へ案内した。
「旦那様や森岡さんは、用事があり出かけておりますので、今しばらくお待ちくださいませ。」
「そっか、息子が五年ぶりに帰ってきたっていうのに、随分冷めているな」
冗談っぽく笑いながらゆっくりとソファーに腰を落ち着かせる。
私はご子息が休まれている間に、先ほど用意したお茶を淹れ、彼の待つ部屋へと向かった。
「失礼いたします」
部屋に入ると、私がいなくなったのは僅かな時間であったが、よほど疲れていたのか、我が家ということで安心したのか安らかな寝息をたてながら目を閉じている彼がいた。
私は起こさぬように、ゆっくりと近づきお茶を置くと部屋を出ようとした。
そのとき、不意に右手を強く捕まれ驚き振り向くと、今だに寝息をたてながらもしっかりと私の手を握っている信枚様がいた。
「……わ…い」
何かを呟いている。 しかし、僅かに震えるその手にあわせ、閉じた瞳からにじみ出てくる雫がみえる。
私は彼の手を空いている手で握り返し、優しく額を撫でた。
このような行為が許されるはずもないが、少しでもその感情が和らげばよいと思えた。
その拍子に被っていた帽子が落ち、拾い上げると今までの悲し気な表情ではなく、安堵したような顔になり雫は消えさっていた。
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