大人の恋は難しい

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大人の恋は難しい

「先生はいつ結婚するの?」 「こーら、からかうのはやめなさい」 「ごめんなさーい」  職員室の冷房目当てに世間話にやってくる生徒も多い。さすがに世間話だけしに来る生徒は少ないが、テストの解答の三角部分のボーナス点目当てに交渉に来るついでに、こういう話をする生徒は多い。  やれやれ。30を過ぎ、35まで逃げ切れればそれ以上は結婚しない主義で通せるらしいが、あともう少しは生徒たちにもからかわれ続けるものらしい。でも、からかわれないように結婚するものでもないし、金を使いたくないから結婚しないというものでもない。  俺が結婚しないのも、単純に職場だと出会いがないから。生徒と教師の恋愛っていうのもあるらしいが、俺にはどうも高校生が子供にしか見えない。別に教え子と結婚する奴を「ロリコン」と指差す気もないが、俺はそう思うってだけだ。 「意外だ。同僚の女教師とってあるのかと思った」 「……お前なあ。それ言うなら、お前は職場恋愛ってあるのか?」 「いや、全然ないわ。そもそも職場で惚れた腫れたで盛り上がって、いざ別れた時に気まずくっても、互いに逃げ場なんてないし。都合よく転勤とか転職もないわ」 「ほら見ろ。ないだろ」  大学時代の奴と飲み会の際、仕事の話やら冠婚葬祭の話題やらの中に、時々自分達の恋愛の話が織り交ざるが、あいにく自分には相手がいないなあと思う。  でもそろそろ実家の親が孫の顔を見たがってはいるが、そろそろ結婚したいなんて言ったら最後、親からこちらの都合も考えずに際限なく見合い話を持ち掛けられかねない。だとしたら、自分で結婚相談所にでも行くかなあ。そう思っていたところで、彼女と出会った。  年は自分よりは下らしいが、彼女はネームカードをぶら提げながら、せっせと売店の仕事をする女性だった。最初は「外部業者が若い人に変わったんだな」くらいに思っていたが、だんだん彼女が目に入るようになっていった。  教師になると半分くらいが仕事として割り切ったり親が教師だから自分も教師になると言う話を聞くが、その大半はびっくりするほどに話がつまらない。  大人の目線で子供を教えても、子供にはそれをただのごり押しにしか見えない。子供の目線で大人になる方法を解かなくてはいけない。  今の生徒たちのほとんどは俺たちの生きてきた時代になかったものが当たり前にあったり、逆に俺たちが触れていたものがなかったりするんだから、生徒の視線に立つには、とにかく生徒と話をするしかない。押し付けがましくなく、それでいて突き放す訳でもないというのは、大概は苦労するが。  彼女は本当に教育を学んだ訳でもないのに、あっさりと生徒達の肩を持って話をしていたのに、正直驚いた。大人らしい女性って訳でもない、ごくごく平凡な女性なのに、だ。  教師になると成績のことやら進路相談のことやらは口を出せるが、生徒間の恋愛相談はさすがに生徒だってしないし、自分たちだってどこまで相談に乗れるかは難しいところだけれど、それを彼女はのんびりと話しながらそれをやっていたのだ。  彼女……山城さんとは何となく一緒に飲みに行くようになったが、特に何の話もない。  夏休み期間中は、彼女もしばらくは本社の方で仕事らしいということで、暑気払いも兼ねて一緒に飲みに行くことになった際、何の気なしに話をすることにした。 「あー、そういえば」 「はい?」  年が近いと、意外と見ていたドラマや流行っていた歌、幼少期に見ていたアニメなんかも被るために、昔の話なんかをしていると話題が途切れることがないけれど、一生懸命食べている時にだけは会話がぷつりと途切れることがある。  俺は冷酒を舐めつつぽつりと言うと、彼女は砂肝の串を口にしつつ、こてりと首を傾げた。  可愛く見せるためでなく、本当にわからないという顔で彼女の砂肝が串から消えていく。 「盆の際は暇ですか?」 「うーんと、盆の頃は戻って来るなって言われてるんで、こっちですね」 「何でですか」  天然なのか生真面目なのか、彼女はびっくりする程とんちんかんなことを言い出すことがあり、まさしく今は彼女のそういうときだったらしい。  彼女はうーんうーんと唸りつつも、すっかりと砂肝の消えた串を指先で弄びつつ次の言葉を探す。 「……うちの妹、もうすぐ出産なんですよ。ですから大騒ぎしてまして。だから今私が家に帰ったらすごい邪魔なんですよね。病院行ったり何だったりって。ひとりでご飯つくって寝るんだったら、実家戻ってもうちにいるのも変わらないから、今年は仕方がないなあと……」 「あー、甥御さんか姪御さんができるんですね」 「今の病院すごいんですよ。ほぼ100%女の子らしいんで、姪ができるみたいなんです」  彼女がほんの少しだけ嬉しそうに笑うのに、また話が脱線しそうになるのに、思わず口を挟んだ。 「そうなんですか……つまり、盆の間はこっちに残るんですね?」 「はい。そう言えば、名東先生は実家に帰られないんですか?」 「車で数分の距離しかないんで、いつでも帰れるんですよ。ですから盆だからという理由で帰りません」 「あー……この辺りが地元なんですねえ」  山城さんがのんびりと言うのに、俺は冷酒をぐっと煽った。  喉がひりひりするような熱を持つことに気付くが、今はそういう問題じゃない。たったひと言。たったひと言を伝えるのに酒の力を借りるなんて。でも、そのひと言で、飲み会の際に常にしゃべっている事が頭に浮かぶ。 「……また、盆の際。どこかで飲みに行きませんか?」 「え……いいんですか?」 「できれば、はい」  結婚を前提にお付き合いくださいなんて、どんなタイミングで言えばいいのか。  そのひと言を言うタイミングを今日もぽろりと零しつつ、歩きで帰る彼女を自分も歩いて送ることにした。
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