5月

2/10
44人が本棚に入れています
本棚に追加
/39ページ
 チャイムが鳴った途端、廊下から人気がなくなる。  生徒さん達は皆授業に行ったのだ。  その間暇な私はスマートフォンでゲーム……と、そんなおいしい話はどこにもない。 「ちわー、世良商店さんですね」 「はい、お疲れ様です」  休み時間の誰もいない時間を利用して、パン屋さんがパンを運んでくる。私は納品書を確認して、届いた数をチェックする。 「はい、お疲れ様です」  私が受取印を押すと配達員さんが笑った。 「いつも高校生の生徒さんものすごく食べますから。見たらびっくりしますよ」 「そうなんですか?」  確かに、初めて在庫表見たときは、あまりの食べ物の量の多さでびっくりしたけど、そんなに食べるのかしら……。  私が訝しげに首を傾げていたら、配達員さんがカカカと笑った。 「まあ見ればわかりますよ……」 ****  そう言われていたけれど。  まさかこれほどとは……。 「すみません、カレーパンひとつ!」   「焼きそばパンふたつ!」  「メロンパン」    「アンパン」 「チョココルネ」      「デニッシュ」  物が飛ぶように売れるなんて言葉があるけど、そんな言葉信じてなかった。  前の女子校なんて、せいぜい新学期に筆記用具がよく売れたくらいで、ここまで必死にならなくて済んだ。あちこちから小銭と声と手が飛んできて、どの手が先かとグルグルする。  何よりおかしいのは。今はまだお昼でも何でもなく、二時間目終了直後の休み時間だって事だ。  気付けば朝に届いたばかりのパンは、すっかり影も形もなくなってしまった。 「はあ……」  ようやく人のいなくなった所で、お金の計算をはじめた。  あれだけ慌ただしかったのなんて初めてだったけど、お金の計算間違ってないよね……?  そう思いながら電卓を動かしていたら。 「ごめんおばちゃん! いつものある……あ」 「はい?」  朝から何回も何回も「おば……お姉さん」と言い直されていたので、いい加減怒り疲れつつ顔を上げた。  ずいぶん日焼けした男の子だ。背も高い。おしゃれで焼いていると言うよりも、明らかにスポーツで焼けた焼き方だ。髪もさっぱりしているから、多分確定。随分汗のにおいがするけど、さっきまで体育でもしてたのかしら。  その子は気まずそうに顔を逸らした。 「あーっと、ごめん。お姉さん」 「いや、いいんだけどね。でも何買いに来たの?」 「ええっと、焼きそばパン」 「あらぁ……一足遅かったね。もう売り切れちゃったのよ」 「えー……そんなぁ……」  その子はがっくりと頭を落としてしまった。  ……うーん、これは。 「もしかして、お昼もうないの?」 「さっきまでサッカーやってたから腹減ると思って食べた」 「あらぁ……早弁しちゃったんだ」 「ああ……じゃあせめて牛乳ちょうだい?」  そう言って力なく小銭をじゃりじゃりとトレイに入れてくる。  うーん……。  実は焼きそばパン。ある事にはある。私が昼ご飯用にパンが届いたときに買った分だ。でも、これなくなったら私のお昼なくなっちゃうんだけど……。 「うう……腹減ったぁぁ……」  ……ずいぶんお腹空かせているみたいだし。いいかなあ。  私はきょろきょろと周りを見回した。もうパンが完売してしまったせいか、今こちらに向かってくる生徒は誰もいないみたい。  私は裏に置いてある自分の鞄から、買った焼きそばパンを取り出した。 「はい」 「え……?」 「最後の一個。本当は私のお昼だけど、君に免じて売ってあげよう」 「え……いいの? マジで?」 「マジマジ。ご飯食べて昼からも頑張ってね」 「わあ……ありがとう」  その子は嬉しそうに焼きそばパンを受け取ると、大げさに頭を下げた。 「ありがと! お姉さん!」 「はぁい、パンまで早弁しちゃ駄目だよー」 「おう!」  そのまま走っていった。  ……ふう。  私はようやく落ち着いた購買部で溜息をつく。  さっきの子もだ。  さっきの子は「えこうろ」の鏑木健斗(かぶらぎけんと)くんそっくりだった。  主人公の男友達で、失恋した主人公を気分転換させてあげようと自分の部活に誘う子。確かその子がしているのもサッカーだったわねえ。ポジションはゴールキーパーだったけど、あの子の手も荒れてたなあ……。  別に前の職場に嫌気が差した私を、乙女ゲームの世界に招待してくれた、なんて考えたら楽しそうだけど、そんな訳はない。  でも朝に会った瓜田君そっくりな子といい、鏑木君そっくりな子といい、いくら何でも出来すぎな気がする。  ……でも。  チャイムが鳴って、いよいよ人気がなくなったのを見計らってから、「留守です」の札を付けた。今の内に昼ご飯買いに行ってこよう。  残り三人はあまりにもベタな乙女ゲームのキャラクターだから、これが現れたら笑うわよ、私は。  乙女ゲームは夢だから楽しいんだから。  そう思いながら、駐輪場へと向かっていった。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!