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見渡す限りの暗闇の元光る星々。プラネタリウムに通い始めたのは小学生の頃だ。星が好きで、どこにでもいるような科学少年だった。
僕は仕事の合間によく此処に来る。
ここは少しの間だけでも都会の喧騒から解き放してくれる。束の間の癒しだ。
平日の昼間というのもあって、この時間に来る人間は固定化されている。世間一般では額に汗を浮かべ、必死に仕事をしているという事に対して、罪悪感と束の間の自尊に浸りたいという人は少なからずいるものだ。
「あれ.....また居るな......」
その男を初めて気にかけたのは先週の事だ。
見かけは普通人。少し小太りではあるが、
年はそこまで離れていなさそうだ。
「右手側、オリオンの三ッ星を中心に、半円形を描いているのがバーナードループです....」
アナウンスに耳を傾けながら、その男を観察する。
しかし、彼はいつもアナウンスとは違ったところを見ているのだ。
それも涙を流しながら、酷く悲しそうに.....。
「はあ......私が見ていた星座ですか?」
僕は端無く彼に話しかけた。
「すみません.....僕もよくここに来まして、それであなたの事が気になったもんで.....」
「そうですか。私が見ていたのはかに座の散開星団、メシエ67ですよ。」
そう彼は飄々と答えた。
「この季節ですと、天頂を横切って明け方には西の空に消えるんですが.......なにぶん、都会の空ではよく見えませんのでね。」
それを受けて、僕は聞いた。
「何か、あの星座に特別な思い出でもあるのですか?」
彼の顔は少しばかり曇って、
「そうですね。悲しい思い出と言いますか...」
重たげな口を開いてこう言った。
「メシエ67.....まったく...悲しい結末ですよ。そして、今もまたそれを見なければならないのは.....とても辛いものですね....」
後日、僕はアポを取って彼と飲みに行った。
ビールを一杯ひっかけると彼はとても饒舌に喋った。
「いいですか、小尾さん。プレアデスにある星雲は、それ自身では発光してないんですよ。近くの星の光を反射してるんですよ。ですから、星と同じ青い光をしてるんです。」
彼はそう言って焼き鳥に手を伸ばした。
「いや〜あなたは大した人ですね!!」
彼を見て僕はそう言った。
「とんでもないですよ。暇だから覚えただけですよ。」
そう言って眼を伏した。
「ところで、那由他さん。」
彼に貰った名刺に目を落として言った。
「お仕事は何をなさっているんですか?」
名刺には『コスモ種まき株式会社 那由他一男 』としか書かれていない。あとは申し訳程度にアドレスと空白で埋めてある。
「それに書いてある通りですよ。種をまいて、育てるんです。
じっくりと、時間をかけて……。しかし、実りは大きいですよ。」
彼はそう答えた。
「植林でもなさっているんですか?」
その答えが傑作だった。
「いいえ......人類と、その文明を育ててるんです。」
彼はそう言った。
「人類........それに文明........ですか?」
酔いも相俟ってか、僕はとても興味を持ったのだ。
「好きだなあ、そーゆーの。」
事実、僕はファンタジー色の強いラノベやSFなどを嗜むのでそんな奇天烈は大好物だった。
「気に入って頂けましたか?大半は地味な作業ですが、やり甲斐はあるんですよ。」
彼は顔を赤くしてそう答えた。
「ということは、何ですか、この世界はあなたが作ったのだと........?」
僕はそう聞いた。短い矩形の後、
「いえいえ。人類がその文明を上手く発展させるのを手助けするだけですよ。」
そう言ってグラスを振った。氷が音を立てて揺れ、からんという音は妙に心地良く溶けて行った。
「へ〜……。そんな大変な仕事を、お一人で........」
僕はそう言った。
「私が派遣されたのは、今から2500年前です。最初の担当者がこの地を踏み、1万2000年前、イスラエルの北部にナトゥフ文化を芽生えさせてから........。」
彼は束の間の沈黙の後、そう答えた。
「この私で3人目です。」
僕の顔を見てそう言った。
「ハハハハハ!途方も無い話ですね!」
と、僕は言った。
「私どもの会社も含め、多くの企業が星々の
播種に乗り出したのは、今から40億年前です。地球の場合、微生物から人類まで35億年かかりましたが、播種されなければいつまで経っても生物は現れなかったでしょう。何しろ、単細胞生物が偶然に発生する確率は10の78436乗分の1ですからね。」
そう言った彼はグラスに唇を付けた。
「そしてその後が私どもの仕事という訳です。」
成る程。僕は疑問に思っていた事を彼に聞いた。
「しかし、那由他さん。民間企業が、そんなまわりくどい事をするのはおかしいですよ。
最初からあなた達が植民すればいいじゃないですか。」
彼は顎に手を当て、考え込んでいる。
「それに、異文明なんかを育ててあなた達に何のメリットがあるんです??」
僕はそう聞いた。
「小尾さん。私どもが植民しないのは、”種の多様性"を主張したいからなんです。それから、利益は.....地球文明が、十分に発展を遂げたあかつきには、私どもの会社が通商独占権を得ます。」
彼はそう答えた。
酔いが回ってこの後のことは覚えていない...。
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