クラブ ビオランテ

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 残業禁止だというのに、明日は土曜日だというのに、このフロア―には僕だけが一人居残っている。来週早々に開催される取締役会資料に間違いが見つかり修正に追われているのだ。孤軍奮闘とはいえ、思うように捗らず、時間だけが刻々と過ぎていく。「他人が作った資料を、なぜ僕が修正しなければならんのだよ」、そんな愚痴もこぼすほど、大人げない焦りが募って来る。この調子だと終電車には間に合わないだろう。この辺りにはビジネスホテルなんかはないし、このフロァ―にある応接室で仮眠をとることも想定してしまう。  ・・・・・誰だ?足音がする?こっちにやって来る。ドアは確かに閉めたはずだが、ドア用のICカードを所持しているのは当社の社員しかいないし、やばい。見つかったら就業規則違反だと指摘される。この作業だけは例外なんだと説明したところで、立場上、逆に(ねた)まれるに決まっているし、一体どうすればいいんだ。・・・・あの癖のある足音?もしかしたら、あいつか?営業部の飯田課長か、ああ、今日だけは止めてくれ!お願いだからよう。・・・・・・・・ 「おい、中野!まだ会社に居るんか。ちょうどよかった。これから例の新宿の店に行くから、お前も付いて来い。タクシーが一階の裏口で待っている。後部座席には取引先の社長が座っているから、お前は助手席に座れ。俺が行くまで社長の話し相手でもしろ。これも勉強だ。粗相(そそう)のないようにな。いいな、・・・・」  案の定、こんなことだ。もういい加減にしてくれないか。あんな店、どうして行かなくちゃならんのだよ。いくら就業規則違反を目撃したからといって、それはないだろう。この課長は明らかに僕を鼻であしらっている。そもそも、取引先の社長接待なのに、どうして総務課主任ごときの僕が誘われなければならないのだ。 「申し訳ございません。重要な資料の修正で急いでおりますので、辞退させてください」 「なんだと?明日出社すればいいだろうが。休日出勤手当が付くんだろう。おまえは総務なんだろう。まだ独身なんだろう。そのくらい融通をきかせろや。俺も用が終わったらすぐ行くから・・・・」 「はい、承知しました。お供させて頂きます」  ここまで言われたんじゃ、僕は拒否するわけにはいかなくなる。これまでも休日出勤は少なからずあったし、これからも当然あることだし。だが、そうだとしても、この誘いには、なにか裏があるようにしか思えないのだ。僕が酒で羽目を外すのを首を長くして待っているような、僕の首を切るための証拠集めをしているような、なにか僕を(おとしい)れようとする(たくら)みを嗅ぎ取ってしまうのだ。だがなあ、どこに誘われようが、僕は決して酒には手を出さないし、おべんちゃら以外には一言も口を出さないからな。むしろ、この課長の夜の行動を監視するためにも、本来ならばあの店には、僕の上司の総務課長、いや部長が行くべきではないのか。僕にはわかっている。課長も部長も自分の家庭がなにより大事で、出世の足しにもならないこんな個人プレイ的な夜の営業活動に付き合うなんて莫迦々々しくて(はな)から逃げているのだ。  
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