第1話 time is money

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そして5時間後、あの男は再び時間屋を訪れた。 雨はすっかり止んでいて、亜希もとっくに既定の就業時間は過ぎていたのだが、楓から残業代が出ると聞いて、男が戻ってくるのを待っていたのだ。 「ありがとう、商談は今度はうまくいったよ」 楓の手をとって、男は感謝をする。 「良かったです」 「また何かあったら頼む」 男のセリフに楓は眉をあげた。 「いえ。最初に申し上げました。時間を巻き戻せるのは一度だけだと」 「それは今回このケースの話じゃないのか」 「違います。おひとり様一回です」 「なんだ、それ。今時リピーターお断りって。そんなんでやっていけるのか」 「元から営利目的ではないですしねえ」 「人から60万もふんだくっておいてよく言う」 「簡単に時間が巻き戻されて、何度も人生がやり直しが効くのなら、世界はものすごくつまらないじゃないですか。ゲームの世界で生きているのと変わらない」 「…貴様の人生観になんて興味はない」 男は苦々しく吐き捨てて、「世話になったな」と出ていく。最初から最後まで上から目線の独りよがりな男だった。 「戻ってきてくれて良かったですね」 「え」 「商談が成功したかどうかわかって、時田さんも嬉しくないですか?」 「亜希くんは優しいですね。残念ながら、戻ってきたのは彼の良心ではなく――この店に戻ってくることになってるんです、彼らはみな」 「?」 意味がわからないという顔をした亜希に楓は説明をしてくれたが、それは更に意味のわからないものだった。 「つまり、ですね。彼のタイムトラベルはこの店が起点と終点なんです。依頼した瞬間と時空を超えて、過去を変えて、またここに戻ってくる…」 「えっと彼は今日の夕方5時過ぎにこの店に来て、一旦6時間前の過去に飛んだ。その飛んで行った過去から6時間後が、彼にとっての『今』だった、ってことですか?」 「そうなります」 う、ややこしい。亜希は頭を抱え込んでしまう。 「そして戸を出た瞬間に彼は僕たちのことを忘れてしまいます」 男の背中を見送りながら、楓はぽつりと亜希に言う。 「え」 「ないほうがいいんです、タイムトラベルの記憶なんて」 それでもたまに断片的だったり、年月をいくつもまたいでから思い出す人がいて、そういう人の口コミやネットでの書き込みで、この店に『お客様』が絶えることはないのだと言う。 「…やめたくなりましたか?」 楓は亜希の横顔を覗き込みながら聞く。丁寧だけれど、行動は強引なこの男にしては珍しい発言だ。 「ついていけない、という顔をしてるので」 楓の指摘は的外れではない。確かに困惑しているのは事実だ。で 「…私がやめたら、時田さん困りませんか?」 「大いに困ります」 「なら、やめません。私もここしか行くところないので」 「利害の一致ですね。良かった。亜希くん、今日の残業代です」 そう言って楓はいつもよりお金の多く入った封筒を亜希に手渡す。 「ありがとうございます。でもなんか多くないですか?」 「まあ、臨時ボーナス的なものです。これからもよろしくお願いいたします」 謎の多い、世界に一軒だけの店で、亜希はこうして働くことになった。この後も、不思議な超常現象を、亜希はこのお店で、幾度となく目の当たりにすることになるのだが、そのお話はまたの機会に。
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