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だれ? だれ?
葵姉ちゃんの後ろにいる大学生っぽい人たちが俺を指差して何やら話している。幼馴染だよ、ちょっと待っててね、とその人たちに一言断って葵姉ちゃんが俺の方に駆け寄ってきた。
「大輝!来てくれたんだ」
平日昼間の空港はゆったりとした時間が流れていた。ぐるっと見回してみても、旅慣れてそうなスーツ姿のサラリーマンと外国の観光客っぽい人たちしかいない。その中で葵姉ちゃんを囲う人たちはざわざわと少し目立っていた。
「うん」俺は小さく頷く。
じと、と手のひらが少し汗ばんでいる。
「この前はごめんね、突然帰っちゃって。最後だったから色々話したいこともあったんだけど」葵姉ちゃんは両手を合わせて、頭を下げた。
パッと顔を見ると、この前のような不安な表情は一切なくいつもの葵姉ちゃんの表情に戻っている。
「ううん、葵姉ちゃんも忙しいんだししょうがないよ」
いつもより少し早口になっている気がする。
「でも良かった。あのまましばらく会えないって気がかりだったから。来てくれて嬉しいよ」
ありがと、と葵姉ちゃんは小さく笑う。
「あのさ、俺頑張るから」
前置きがなかった俺の言葉に葵姉ちゃんが「ん?」と少しだけ顔を傾ける。
「頑張って勉強して早稲田受かるから。英語も葵姉ちゃんが教えてくれたやり方でもっと早く正確に読めるようになるから」
両手に力が入る。
「この前のテスト68点だったけど苦手も克服するし、素直にもなるから」
心臓の音が聞こえる。
だから、だから。
顔が熱い。
「葵姉ちゃんも留学頑張って」
言い切ったあと、心臓の音がさっきよりも耳の近くで鳴っていた。
葵姉ちゃんが目を丸くして俺を見ている。
後ろの方でさっきまで葵姉ちゃんと一緒にいた人たちが大きな笑い声を上げた。こっちを見ている人は誰もいないから、何か楽しい話でもしているのかもしれない。
俺ら二人の間で、しばらく沈黙が続いたあと葵姉ちゃんが口を開いた。
「……と」
んん、と葵姉ちゃんが喉の調子を整える。
「ありがと、わざわざそれ言いに来てくれたの?」
うん、と俺は頷く。
なんかさぁ、と葵姉ちゃんが呟く。
「最後の最後で久しぶりに素直な大輝見れたよ」
葵姉ちゃんは急に悪戯な笑顔を浮かべた。
「は?」と俺は開いた口が塞がらない。
「家庭教師やってる間にそんくらい素直に戻ってくれれば良かったのにさー」
口元が緩んでニヤニヤしている笑い顔は子供の時からよく見てた表情だった。
「うるせえ、何だよ言って損した」
わかりやすく俺が拗ねていると、葵姉ちゃんがごめんごめんと俺の肩をぽんぽん叩いた。
「真剣にやってくれたのに茶化すのは違うね。でも本当にびっくりしたからさ」
この前の私を見て心配してくれたのかな、と葵姉ちゃんが言う。
「ま、まあね」
「正直、今も不安なんだよね」
内緒だよ、と後ろの人たちを見ながら口に人差し指を当てている。
「葵だったら心配ない!みたいに言ってくる友達が多いから何となく相談しにくくてさー」
はは、と短く笑う葵姉ちゃんを見て、友達の中でも頼られる存在なんだろうなと俺は思った。
でもだからこそ、弱音は吐きにくい。
「葵姉ちゃん、手出して」
「え、手?何で?」
いいから早く、と言って俺はポケットから葵姉ちゃんの赤ペンを取り出した。
「あ、それ私のペン……」
葵姉ちゃんは首をかしげながらも、右手をゆっくりと俺に差し出した。
「動かさないでね」
そう言って俺は葵姉ちゃんの右手に赤ペンを走らせた。
ちょっとくすぐったいよ、と言う葵姉ちゃんの手は柔らかい。
「もうちょっとだから我慢して……、はい書けた」
なになに、と葵姉ちゃんが右手を顔に近づけて今書かれた文字を読み上げた。
「嫌になったら戻って来れば良いよ。それまでは留学頑張れ」
これって……、と葵姉ちゃんは顔を上げて俺の目を見る。俺が小さく頷くと、葵姉ちゃんはニコッと頬をあげた。
「ちょっと、私にも赤ペン貸して」
手も出して、と葵姉ちゃんは強引に俺の右手を取って自分に引き寄せた。
「くすぐったい」
「ちょっと我慢しなさい」
さっきとは逆の立場で、同じようなことを言い合う状況に俺の顔から笑みがこぼれてきた。俺の手を抑えるために握っている葵姉ちゃんの手からは温かさが伝わってくる。
「はい、できた」
俺は自由に動かせるようになった右手を胸の前に持ってきて赤い文字で書かれた一文をじっと見つめる。
【次会うときは私の後輩だ!大輝なら大丈夫!】
「はい、葵先生の最後の一言」
次会うときが楽しみだね、と俺に笑いかける葵姉ちゃんを後ろから大きな声で呼ぶ声が聞こえた。
「あおいー!写真撮るから入ってー!」
「はいはーい!」と葵姉ちゃんが手を振り返す。
向き直った葵姉ちゃんが俺の目を見ながら「今日は来てくれて本当にありがとね」と笑顔で言った。
大丈夫、いつもの元気な葵姉ちゃんだ。
「じゃあ、行ってくるね!」
そう言って葵姉ちゃんはさっきまで一緒にいた人たちの元へと戻っていった。
葵姉ちゃんは絶対に最後まで頑張って来る。
俺も最後まで頑張らなきゃ。
俺は右手をぎゅっと力強く握って、葵姉ちゃんを背に歩き出した。
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