優しいうそ

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 嘘をついてしまった。  子供に「出張のイギリスの土産だから受け取ってほしい」と言って差し出したピーターラビットの人形は実は隣の市の百貨店で急いで買ってきたものだった。  彼女は「わあ。かわいい人形をありがとう!」そう言って喜んで受け取ってくれた。ばれてしまうのが怖いのと、良心が痛む。「わたし、ピーターラビット読んだことあるの。イギリスのみたいだね」  娘がキャッキャ言いながら人形を高くかざしている。 「今日からはうちの子だよ」  娘は大事そうに抱きしめた。  遠目で見て、子供は無邪気だなあなんて考えていた。娘は、頭の回転が速くて、優しく、喧嘩などしたことがなかった。ひいき目に見てもかなり頭がよかった。だからか、気付かれそうなのが怖かった。  どうして、イギリスで時間が取れなかったのかなんて今更になって悔やむ。私が思い悩んだ顔をしていたからか、娘は、 「お父さん、本当にありがとう! つかれてそうだから、ゆっくり休んでお仕事がんばってね」と言って頭をさげた。 「大事にするね」  そう言い添えて、二階の自分の部屋へ上っていった。過たず上手くいったと私は安堵した。明日も早いから寝るとしよう。あくびをしながら自室に戻った。これは私だけの秘密にしよう。  それからして、すっかりピーターラビットの人形のことは頭から忘れていた。  幾ばくか日が過ぎた頃、妻から携帯に電話がかかってきた。 「あなた、あの子が友達と言い合いして喧嘩して泣かせちゃったみたいなの」  妻の強い語気に耳を疑った。あの優しい娘がそんな、と。 「とりあえず今仕事中で会社にいるから帰ってからしっかり話を聞く」  通話を切った私の手は震えていた。娘がそういうことをしたのは初めてだったからだ。親としてどう接していいのか、考える。今日はひとまず早めに仕事を切り上げることにした。 「すみません、今日は早めに上がります」 「なにかあったのか?」と上司は訊く。 「娘が喧嘩をしたらしくて、そういうことはしないおとなしい娘なので心配で」 「そうか。一人娘だしな。心配なら早く帰ってもいい」  上司に伺いを立てて、せわしく身支度をする。あのおとなしい娘になにがあったのか、すごい心配だった。  会社を出て家に帰ると、妻がきつい顔つきでテーブルの私の向かいのイスに端座していた。私も自分の席に座って向かい合う。 「どうして喧嘩したんだ?」  単刀直入に言うと、妻は腕をついて顎を支えながら答える。 「なんかね、人形のことなの」  そこではっとした。私の中で黒くてどろどろしたものがうごめきまわっているような錯覚に陥った。その様子を見て、妻が尋ねる。 「心あたり、あるよね」  たぶん、顔は骸骨のように白くなっていたと思う。妻は淡淡と続ける。 「あるんでしょう? あなたの目は遠くを見てるように見えるけど」  妻の目からひしひしといらだっているのが感じられた。  そりゃそうだ。今の私の顔は骸骨のそれより白いだろう。目の方向は固まっている。 「あの子の友達が家に来たから、この前、あなたが出張でイギリスで買ってきたピーターラビットの人形を見せてあげなさい、って私が言ったら渋ってね」  ああ、私はその後の話を悟った、 「だから私が持ってきて『うちのお父さんがイギリスで買ってきたのよ』って言ったのよ。そうしたら、その子が同じものを持っている、と言ったの。隣町で買ったって。それでその友達があの子に『お父さんに騙されてるよ』って言っちゃって、あの子はそんなことないよって喧嘩になっちゃって……。あなた、あの人形はどこで買ってきたの?」  じわりと汗が額ににじんだ。妻は鋭くこちらを見つめていた。私は握っていたこぶしを更に強くして弁明した。 「実はイギリスでは忙しくて買えなかったんだ。それでも娘にいい顔をしたくて……」 「……早く謝ってきて」  妻はそれだけ言うと席を立って、私を一瞥して一階の自分の部屋へ帰っていった。私の一つの嘘のせいで娘と娘の友達と妻を困らせてしまった。娘にはなんて言おう。そんなことを考えながら頭に石でも乗ってるみたいにうつむいて階段を上る。  意を決して娘の部屋の前に来た。ノックをしようとすると、何やら声が聞こえてきた。おそるおそる耳を澄ましてみたら、私があげた人形と会話しているようだった。 「ピーターラビットさん。あなたはイギリスから来たんだよね。とおかったね。もうここはうちの子だから日本の子だよね。あしたあやまらなきゃ。あなたは日本のうち子なんだから」  そこで私は気付いた。そもそも娘は最初から気付いていたことを。娘が優しいうそをついていたことを。(了)
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