第2節 閑話、若君と虎屏風

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ある日、若君はちょっとお偉い方のところへ呼ばれておりました。 「かったりぃなぁおい……」 などと申しますは、そのお偉様、若君のことをてんで良く思っちゃいないでいらっしゃる。 「若様、これもお勤めにございます」 「んなこと言ったってお前、こうして突然呼び出しては聞かされるのは自慢話かお小言。あぁやだやだ、なにがお勤めだ」 「まぁそんなお小言を聞くのも私の仕事じゃございませんからね」 「お、上手いこと言うね」 それにしてもこの若君、たいそう口が上手い人でありました。中には若君を良く思わない方もおりますが、そんな御仁もなんのその。あっさり口負かしたりひょろりと逃げて立ち回り。 今日の呼びたても器用が故の貧乏くじみたいなものでございましょう。 とは言え私まで煙に巻こうったってそうは問屋が下ろしませんから、思いっきり耳をひっ摘んでお屋敷まで引っ張って差し上げました。 「痛い、イデデ……わかった、わかったからもう離しちょくれ。俺の耳が脳みそ連れて逃げちまう」 「貴方様のそのお口がちょっとでも静かになるんなら、それもありかもしれませんね」 「んっとに食えねぇ男だよお前」 「ありがたきお言葉」 「褒めちゃいねぇっての」 通された部屋で待つこと半刻。 長いこと待たされるのは常でございましたから、最初のうちは軽口で暇を潰すのが若君のお決まりでございます。 しばらく戯れに付き合っておりますと、奥から帯の位置がすっかり下がった見事な太鼓っ腹の親父がお出でなすった。 「やぁ、呼び出して悪いねぇ若」 「へぇ、親父とも兄貴とも慕う枝田屋様に呼ばれりゃあピッと駆けてすぐ参るってもんで」 「嬉しいねぇ、立派に育って俺も鼻が高いよ」 「たけぇのはその座高だけにしちょくれ。鼻じゃ折りたくならぁ」 「ん?何か言ったかね?」 「いいえ、親父殿の立派な上背に立派な鼻まで持っちゃあ浮世離れの美丈夫ってもんでさぁって話で……そんで、今日はどんな御用向きで?」 「そうだったね、ほれ」 太鼓っ腹の彼が叩いて人を呼ぶのは手のひらで、ぺっちりのっちりと湿気った音よりよっぽど私がその腹を叩いてやった方が従者も聞こえが良かろうと気の毒に思ってしまうものですが……若、それはいけません。 いっくらなんでも、枝田屋様がこちらをご覧になられていないからとてたぬきのような戯れで腹踊りはなりません。 私が…私が笑わず辛抱していられなくなります。って、私を笑わせようとしてらっしゃるんでしょうけどもねぇ、飽き性というか不真面目というか、面白いことがなけりゃ息の根が止まっちまいそうなお人だ。 「お持ちしました旦那様」 枝田屋様が持って来させたのは、虎が描かれたそれは立派な屏風にございました。 「へぇー、こりゃ大したもんだ」 「そうかいそうかい、お前にもこれの良さがわかるかね」 「そりゃあもちろんでさぁ!別嬪な虎だぁ!そんでこんなに綺麗に金が乗った屏風ぁ、そうそうお見かけできるもんじゃねぇや。こりゃあたまげた!目利きが良いお人のお眼鏡に適うってぇのはこんな立派なモンなんでさぁねぇ」 歯に衣着せぬ若君のもの言いは目上にも変わりゃいたしません。 それにしたってこの屏風、どんな腕の良い職人をつかまたか知りゃしませんが、若君の仰る通りのそれはそれは美しい屏風であります。 金が見事に乗った豪奢で立体感のある霧森に、堂々と描かれた迫力のある虎が一匹。 これまた見事な銀糊で描かれた風波が金ピカの悪趣味にもなりかねない屏風絵をピシッと引き締めて、真ん中の虎はまるで神話の獣みてぇに際立っておられる。 「しかしこれの悪さもあってな。それはお前、見抜けなんだか」 「はて、こんな良い代物が曰く付きですかい」
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