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酔醒教 幹部の日誌 最後の頁
「好きです」
多分その時、彼女以外の時間が止まっていた。彼を見つめる親友の目に、次の瞬間、色が刺す。
「付き合ってください」
傍で見ていた私は嫌悪の色を隠せなかった。これほどまでに彼女に似合わない言葉があるだろうか。初めての信者だからといって、彼女がその存在を求めたわけではないのだ。
「わかった」
と言った時すでに彼女は、教祖としての自分を作っていたと思う。
「いいよ。君が正しいと思うなら」
決意している時の眼だ。誰かのために自分を取り繕うことを。どんな時より厳かな声で彼女が告げる。
「君が本当に信じるなら、私は
今宵、エトヴィスに愛を誓おう」
彼女は何も変わらなかった。
彼がもし変わらなければ、二人は誓った愛で本当に添い遂げたのかもしれない。それには彼は弱すぎた。
擁護しておくけれど、我が親友は普通の恋をできないわけではなかったのだ。その点では、彼女は教祖だったけれど神様ではなかった。もしかするとこれから普通に恋をして誰かのものになるのかもしれない。私たちにとって陶酔の対象であっても、彼女はソファリスではない。悪いのは全面的に彼だった。恋がある種の陶酔であることは認めよう。しかし彼はそれらを綯い交ぜにし過ぎていた、少なくとも私はそう思う。
恋が陶酔でも、陶酔は恋ではないのに。
「僕は、一番かな。それとも、特別かな」
そんなことをやけに口走るようになった。ただの恋なら微笑ましい悩みすらここでは崩壊の予兆になる。
私は決まってこう返す。
「さあ、本人に訊いたら」
そんなことできないよ、と言う彼の声が含むのが照れではなくて遠慮だから、私は終焉を見出す。
私たちがまだ年頃の女の子同士だったころに、恋の話をしたことがある。彼女のカリスマ性は一際目立っていたけれど、それでも彼女も色々な陶酔を経てここにいるのだ。
ちょうど暫く恋愛から遠ざかっていた彼女は、恋愛についても独自の哲学を紡ぎ始めていた頃だった。聖典に載せてもいいほど好んでいるのだが、まだ彼女に許可を得ていないので個人的にここに記す。
言葉ってね、と彼女は始めた。恋の話じゃないの、という疑問はしまい込む。彼女の前では無粋でしかなかったから。
「言葉って、世界を区分けするものでしょう。
それと同じで私たちは、世界を分けて生きている。
例えば地球の土地はずっとつながっているでしょう、それを、二百に分割するみたいに。
私たちの周りの世界を、分けて生きているんだ。好きとか嫌いとか、役に立つとか立たないとか、そんなふうに。
人についても同じでしょう。好きな人嫌いな人、先輩後輩上司部下、仲のいい人悪い人。
陶酔っていうのはね、『分けない』ことなの。
その人をその人としてしか名付けられない状態のことを、私たちは恋って呼ぶんだ」
それなのに彼は、特別を求めたのだ。ひとりの個として認識されるのを。
彼女の中には「自己」と「他者」しかなかったのに。
好きで、慕って、乞うて、焦がれて、手に取りたいと思って。
触れるだけではなく手に入れてしまった彼は、幸せなまま自分を失った。
それはただの悲しい恋だったのかもしれない。彼女は決してソファリスではなかったけれど、それでも彼にとっては神様だった。
神様は、一人の掌に収まるわけがない。
一度だけ彼女に彼について尋ねた。彼女は多くを語ろうとしなかったけれど、ぽとりと落とした言葉は確実にこうだった。
あの人はね、あの日からもう、壊れてた
例えるなら彼は自然の恵みに感謝することを忘れ、掌から零れ落ちた雨水だけを追いかけていた。私のなかに憐れみの気持ちすら生まれる。
彼女を一番よく知るのは私なのに。
彼女が選ぶなら、私なのに。
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