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1.アンネ
3945年5月。南ドイツ連邦共和国の小さな町・ミュンヘン。
ガタガタとおそろしく揺れる木炭バスの、座り心地の悪い座席に腰を下ろしていたアンネ(ドイツ人)は、ハッと目を覚ました。
(そろそろミュンヘンに到着する時間ね…)
はるか昔、この木炭バスの走っている道路には「テツドウ」というものが敷かれていたそうである。しかし、アンネはその「テツドウ」というものを見たことがない。同じく「ジョウキキカンシャ」だとか「ロメンデンシャ」というものも、彼女は実物を一切見たことがなかった。20世紀半ばに起きた大戦争で枢軸国側が敗北し、「モーゲンソー・プラン」が実行された結果、この国の工業インフラはことごとく破壊され、40世紀を迎えた今なお立ち直っていない。
オーストリアとの国境に近いミュンヘンは、大戦前は、かなりの規模の大都市であったという。しかし、アンネの知る「ミュンヘン」は、人口がたったの5万人程度の「単なる田舎町」に過ぎない。
アンネは、南ドイツ連邦共和国の首都・レーゲンスブルクの、小間物商の店舗に奉公に出ていた。1年間地道に働いたので、有給休暇をもらって彼女は故郷のミュンヘンへと帰郷したのである。
「この間、舖に来た電報で知ったけど、マリカさんも久しぶりにミュンヘンに来るらしいのよね…。あのコはロマ人だから、ひとところには留まらないのだけど…。さて、レベッカさんやゾフィアさんも、元気にしているかしら?」
アンネは、自分の旧友たちが一堂に会すので、その期待に胸を膨らませる。
そして木炭を燃料として走るバスは、ミュンヘン中央バスターミナルに到着する。アンネもトランクを抱えて、バスから降りる。ここから歩いて15分の場所に、アンネの実家がある。そして電報のメッセージによると、彼女の家にマリカ・レベッカ・ゾフィアの三人も集って、久方ぶりのお茶会を行うそうである。アンネの父親と母親が、タンポポを原料として作る「代用コーヒー」(本物のコーヒーは、この時代の旧枢軸国側の国民には最早味わえないものとなっている)で催すお茶会の、ホストファミリーとなる。
ともあれ、アンネはトランクを片手にテクテクと歩く。この日は快晴で吹き抜ける風も心地よい。
「さあて、久しぶりの我が家。パパやママは、元気にしているかしら?お祖母ちゃんの作るキルシュパイも、本当に美味しかったからな~。あとは代用ショコラを混ぜ込んで焼いたクッキーでもあれば、私だって言うことはないわ。みんなでワイワイと盛り上がるお茶会、楽しみだな~」
アンネはそう独りごちる。5月の心地よい風を感じて、彼女は重いトランクを手にしながらもそんなことなど意に介さないかの如く足取りも軽やかに家路を急ぐ。
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