泣いている

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 思わずドアを押して、私は屋上へと足を踏み出した。途端に私の身体も雨に襲われる。しかしそんなことを気にする余裕もなく、そのままゆっくり彼に近づいた。  足を踏み出すにつれて私の心には焦りが広がっていく。なんだか今にも彼が消えてしまうのではないかと、気が気でなかったのだ。  私は唾を飲み込むと、彼の背中に向かってそっと声を投げかけた。 「大丈夫ですか?」  びくり、とその肩が揺れる。振り返った彼の表情は、まるで夢から覚めたかのような新鮮な驚きを帯びていた。  大きな瞳がこちらに向けられる。細い鼻筋に小さな唇。無駄なものをちょうどよく省いたような小綺麗な顔立ちをしていた。彼はひゅっと息を吸いこむと、そのまま数回目を瞬かせる。 「……あ。大丈夫、です」  絞り出すように発された声は、耳に心地よい柔らかなものだった。彼は唇を震わせた後、慌てたように視線をさまよわせる。濡れて重くなった制服にも今気が付いたかのように、彼は自身の身体を見下ろした。 「すいません。勝手に入ってしまって」  やがて小さく漏らされた謝罪に、私は彼を覗き込むようにして訊ねる。 「それはいいですけど、何してたんですか」 「……屋上庭園ってどういうものなのか見てみたくて。夏休みなら誰も来ないと思ったので」  私は大きく息を吐き出した。無断で入ったことは許容しがたいが、何か庭園に危害を加えたわけでもないようだ。追い帰すのは酷に思えた。  それに。  目の前で小さく震える男子生徒を見る。もうずいぶんと長く雨の下にいたのか、彼の身体で濡れていない部分はないように見えた。指先からしきりに水が滑り落ちていく。それがアスファルトに落ちて滲んでいくのを目で追いながら、私はそっと息を飲んだ。  ここで放り出したら、彼はこの雨に紛れて消えてしまうような気がしたから。
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