第三次世界大戦

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第三次世界大戦

3945年度版大韓民国国定教科書(高等学校世界史Ⅲ)より抜粋   21世紀初頭の世界情勢  20世紀末の時点で、世界は四大勢力に分かれていた。南北アメリカ・西ヨーロッパ諸国・インド・イスラエル・台湾・日本、そしてわが国を中心とする「民主主義陣営」、ソ連・モンゴル・東ヨーロッパ諸国・キューバから構成される「社会主義陣営」、中国・サブサヘルのアフリカ諸国・東南アジア諸国・ユーゴスラビア・アルバニア、並びに北韓から構成される「非同盟諸国連合」、そしてサウジアラビア等の中東諸国・北アフリカ諸国・インドネシア・マレーシア等によって構成される「イスラム共同体」である。  この四大勢力の均衡を破った事件は、アメリカ東部時間の1999年9月11日に発生した「アメリカ同時多発テロ事件」(いわゆる「WTCカミカゼ・アタック」)とも言える。  首謀者と看做されるウサマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラーディンは2003年5月2日、アメリカ陸軍特殊部隊によって殺害されたが、テロの全貌が解明されないままに当事者が死亡したため、そのことが後世に大きなしこりを残した。  この事件を巡り、民主主義陣営の代表たるアメリカ政府は「このテロ事件の背後にはソ連当局の莫大な資金・設備・人員の提供、そしてテロ実行犯への訓練があった」との公式見解を示した。一方、ソ連当局はこのことに対して「テロ事件はアメリカ合衆国の自作自演であり、国内の軍需産業を喚起して戦争特需を生み出すためになされた」との公式見解を発表した。また、中国政府の公式見解によると「美国同時多発テロ事件は美国・蘇国双方が結託し、戦争を起こして莫大に膨れ上がった軍事費・人員を削減するきっかけを作ろうとしたものである」とのことであった。最後に、当時のサウジアラビア政府のサルマーン皇太子は「アメリカ同時多発テロ事件には政治的背景はなく、一部のイスラム原理主義者の暴走があったに過ぎない」との公式見解を発表した。  この事件を契機として、民主主義勢力各国では過剰なまでの「イスラム排斥」と極右勢力が台頭した。また、社会主義勢力の盟主たるソ連では2018年、アメリカ合衆国政府に対して弱腰な政府当局への不満を募らせた一部軍人によるクーデター未遂事件が発生。その翌年にはソビエト社会主義共和国連邦は構成国15カ国を独立させて、新たに「ノヴォソビエト連邦共和国」、並びに「独立国家共同体」(CIS)を樹立した。しかしその後、対美国強硬派が政権を握ると、新生ソ連はスターリン時代に戻ったかのように、独裁体制が敷かれるようになった。  それとは前後するが、2011年、チュニジアでインターネットを活用した、いわゆる「ジャスミン革命」が勃発した。その余波は他のアラブ諸国に拡がり、次々と独裁政権が倒された。ところが、この革命は同時にイスラム原理主義の台頭を許し、いわゆる「イスラミック・ステイツ」(IS)によって次々とアラブ諸国が乗っ取られ、数多くの貴重な文化遺産が破壊される呼び水ともなった。  このように、21世紀初頭の数十年間における世界は、「民主主義陣営」は極右勢力の跳梁・「社会主義勢力」はスターリニズムの復活・「イスラム共同体」は宗教原理主義者の台頭によって、人々が苦しめられることとなった。  結局のところ、2043年の時点で、「四大勢力」の均衡が崩れた後に主導的な政治・経済・軍事的な勢力となりえたのは、中華人民共和国を中心とする「非同盟諸国連合」の、ただ一つの勢力であった。  第三次世界大戦への過程  2043年当時、中国を盟主とする「非同盟諸国連合」の経済力・軍事力・政治的圧力により、もはや「民主主義陣営」「社会主義陣営」「イスラム共同体」は、なすがままとなっていた。  そのことに反発した人物が、パレスティナに在住していた「ファティマ」という当時16歳の少女(ユダヤ系・アラブ系のいずれかは不明)だった、と言われている。当時、彼女は過激派テロ組織「ASMAA」(アラビア語で「高貴な」という意味)に所属していた。「ファティマ」はサイバーテロにより、インターネットに頼り切っていた中華人民共和国のインフラ(通信・情報・運輸・金融その他)を徹底的に破壊し、それを一方では「民主主義陣営」の仕業に、他方では「社会主義陣営」の仕業に見せかけて、全世界に発信したと言われている。  しかし、それらは飽くまでも憶測にすぎない。この事件の解明をきっかけとして、ソ連他「社会主義陣営」諸国がパレスティナに軍事侵攻し、その後、アメリカとその同盟諸国も、「社会主義陣営からパレスティナを防衛する」という名目で、かの地に侵攻した。  そしてその2年後の2045年、ヒロシマ・ナガサキ以降使用されてはいなかった核兵器が、ノヴォソビエト連邦共和国によって遂にパレスティナに撃ち込まれた。それからわずか24時間後、アメリカ・ソ連両国によって全世界の主要都市・軍事基地に核兵器の雨が降ることとなったのである。  核兵器が撃ち込まれた主要都市・軍事基地は、以下の通り。 ワシントンD.C・ニューヨーク・アンカレジ・モスクワ・ウラジオストック・北京・上海・香港・大連・東京・嘉手納・アンカラ・バンコク・バグダッド・カイロ・ベイルート・ベルリン・ロンドン・パリ・ブラジリア・ハバナ・ニューデリー・ムンバイ・台北・平壌・ソウル...
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