(六)

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(六)

 東の空に高く、太陽が昇った。  カオルとすみ子が監禁されている五重塔の窓からも、明るい光が差し込んで来る。  「カオルさん、どうしよう…。佐久間と辰巳、こっちに向かって来るわ」  すみ子の声が消え入りかけている。  「とうとう、お宝が見つかって…。私達を殺しに?」  カオルは首を振り、すみ子の耳元に口を当てた。  「大丈夫。僕に策がある。とにかく、時間稼ぎを」  「わかったわ…」  すみ子はカオルを上目遣いで見つめた。  「私、最後の最後までカオルさんを信じる」   二人が頷き合う中、五重塔の最上階に登る梯子が軋んだ。  「おい! おまえら、起きてるか」  佐久間と辰巳が、鉄格子の向こうに現れた。  「ふふ。お待ちしてましたよ」  カオルが笑みを浮かべた。  「何がおかしい。おめえ、むかつくんだよ」  辰巳が怒鳴った。  手にして来た包丁を、鉄格子越しにカオルに突きつける。  「覚悟はいいか」  カオルが声を高める。  「待った。慌てないで」  カオルは鉄格子の傍に、にじり寄った。  「僕達を殺すと、あなた達大損しますよ」  「どういう意味だ」  佐久間が、カオルを睨む。  「僕達と、取引きしませんか」  「取引き、だと?」  「あなた達は昨夜、夜通しかけて薬師堂の床下を堀りまくった。でも、『無限の宝』らしきものは見つからなかった。違いますか?」  「なぜわかった」  「僕達が庫裏の応接間と薬師堂で立ててみた推理は、間違っていたんですよ。それを盗聴していくら床下を探しても、お宝は見つからない道理だ」  「チッ」  辰巳が、舌打ちをする。  カオルが続けた。  「僕達がお宝を発見してから、横取りすれば良かったんだ。あなた達は、慌てたばっかりに余計な労力を費やしてしまっただけだ」  「畜生!」  辰巳が、鉄格子の手前の床に、包丁を突き立てる。  「待て! こいつの話、最後まで聞いてやろう」  佐久間が手を伸ばし、辰巳を制した。  カオルを、サングラスの奥から睨みつける。  「あんた、『無限の宝』のありかがわかっているのか」  カオルは大きく頷いた。  「ええ。財宝のありかは解明済みです。境内のあるところを掘れば必ず見つかります」  「本当だな」  「ええ。揺るぎのない確信があります」  佐久間は顎髭に手をやった。  「もしお宝が見つかったら、あんたは何を望む?」  「僕達二人を解放してください。それだけで結構です」  佐久間の口元に、笑みが浮かぶ。  「お宝の分け前は、要らねえんだな」  カオルが再び大きく頷く。  「要りません。命さえあれば」  「では、お宝が見つからなかったら」  「僕を殺しても構いません。すみ子さんは命を助け、解放してください」  「カオルさん、だめ。死ぬんなら一緒に」  すみ子が眉を寄せ、かすれる声で叫んだ。  佐久間は腕を組み、眼を閉じた。サングラスに指二本を当て、しばし沈黙する。  「やっぱり」  佐久間が口を開いた。  「この取引き、乗れねえな」  「乗れない? なぜです」  カオルが首を傾げる。  「俺達の目的は二つだ。一つは、『無限の宝』とやらを手に入れること。もう一つは、俺達をクビにし、経済的にどん底に追いやったこの女に復讐すること」  佐久間のサングラスの下の眼が、鈍く光った。  「二つのうち、後のやつの方が大きいんでな。この女の命を助ける位なら、お宝は要らねえ」  「じゃあ、私だけ殺せばいいでしょう! カオルさんは私がたまたま巻き込んでしまっただけ。全然、恨みなんかないのに」  佐久間がまた、サングラスに手をかけた。  「そうは行かねえ。俺達の顔、もう見られてるからな…。お互い自分だけ殺せっとは、仲のいいこった」  佐久間は辰巳の方に向き直り、顎をしゃくった。  「合点だ」  辰巳が頷き、包丁を床から引き抜く。  佐久間が懐から、白い封筒を取り出し、鉄格子の前に置いた。  「血染めの『遺書』か…。一見、悲壮なドラマに見えるよな」  「止めて!」  (カオルさんを信じて、時間稼ぎ…。時間稼ぎしなくちゃ)  すみ子が立ち上がった。  「何でそこまで、私が憎いの?」  佐久間はサングラスの奥の眼で、すみ子を睨んだ。  「俺はな。あんたの父親、先代の住職と三十年以上、一緒に手を携えて仕事して来た。あんたのことも赤ん坊の時から可愛いがってやったんだ。覚えてねえのか?」  すみ子は首を振った。  「そんな、幼い時のことなんか、記憶にないわ」  「あんたにはなくても、俺には大ありなんでな。恩知らずが」  佐久間はずり落ちて来たサングラスを、親指で押し上げる。  「たった一度、セレモニーホールの公金を借りただけでクビだ? ふざけんな!」  「借りたんじゃないでしょ。オーナーである私に断りもなく持って行ったら横領だわ」  「借りたんだよ。競艇で儲けて、利息つきで返す積りだった」  「そんなの、ギャンブルじゃない。一円の儲けにもならない可能性大」   「うるせえ! 俺だって妻も子もいるんだ。あんたみたいな小娘に人生ぶっ壊されるのが許せねえんだよ」  「お生憎様。私、もう小娘ではありません。立派な大人です」  すみ子は舌を出した。  「おのれ、もう許せん」  「許せねえ!」  辰巳が包丁を握り直した刹那である。  パトカーのサイレンが、けたたましく鳴った。  「げっ」  窓に駆け寄った辰巳が、眼を見開いた。  「やべえ。警察だ。こっちに向かって来やがる」  佐久間も窓から、下を見下ろす。  「なぜだ…。何でここがわかったんだ」  「助けて! 助けて!」  すみ子が、叫び声を上げる。  カオルが続けた。  「五重塔の中に監禁されてます! 救助願います!」  「畜生…。隠れる場所がねえ。窓から出て、屋根伝いにずらかってやる」  佐久間が窓に足をかけた時、制服を着た警官の手が伸びた。  窓際から引きずり下ろされ、尻餅を突いた佐久間が、二人の警官に組み伏せられる。  同時にその後方で、辰巳も別の警官に取り押さえられた。  「大丈夫ですか」  駆け寄って来た警官が、カオルとすみ子の荒縄を解く。  「ありがとうございます」  頭を下げるカオルに、警官が敬礼した。  「井中先生。お久しぶりです」  すみ子がカオルの横顔を見やる。  「えっ…。久しぶりって?」  カオルが笑った。  「実は僕、何度も危険な眼に遭っていてね。警察のお世話になるのは初めてじゃない」  カオルが自由になった背中を、すみ子に向けた。  着ている作務衣の襟元を、捲り上げる。  襟の裏に小さなポケットが縫い付けてあり、黒っぽい四角のものが頭を出している。  「GPSってやつだよ」  「ジーピーエス…。幼いお子さんや認知症のお年寄りが迷子になっても居場所がわかるように、身に着けて貰うアレね」  カオルが首肯した。  「こいつを身につけることで、すみ子さんもご存じの高雄中学の同僚、トキオ君に僕の居場所が常時わかるようにしてあるんだ」  「岡上トキオさん。美結の旦那様。確か国語科の先生」  「平日、定刻までに僕が出勤しない場合は、僕の身に何か起こったと見なして警察に出動を要請して貰う約束になっている」  「あっ! わかった。さっき私に『時間稼ぎして』って耳打ちしたのは、それだったのね」  カオルは微笑んだ。  「中学の出勤時刻を過ぎないと、トキオ君は警察に通報してくれない。だから時間稼ぎだったんだ。僕が佐久間さんと取引きを持ち出したのは、時間稼ぎのため。それで足りなかった分、時間を稼いでくれて助かったよ」  「そういうことだったんだ…。私、カオルさんとあいつらのやり取りを真剣に受け取って、心底怖かった」  「説明できなくて、申し訳ない。ひょっとして佐久間さんがこの部屋にも盗聴器を仕掛けて、僕達の話を聴いているかもって思ったから、詳しくは言えなくて…」  すみ子は首を振った。  「いいえ。申し訳ないなんて、とんでもない。結局私、またしてもカオルさんに命を救われたんだわ」  すみ子はカオルの方に顔を向けるが、視線が合っていない。  「いけない。ほっとしたせいか、眼の前が真っ暗になって来ちゃった」  すみ子の身体が前のめりに大きく傾く。  意識を失ったすみ子を、カオルはそっと抱き留めた。  
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