(七)

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(七)

 「ここ、どこかで見たような…」  すみ子が次に目覚めたのは、白い部屋の中である。  隣室のドアが開いた。入って来たのは、白髪の老人である。  「宿村先生」  すみ子は起き上がった。  宿村は、目元に笑みを湛えている。  「長いこと医師をしておりますが、二日連続で救急車で運ばれて来た患者さんは、中山さんが初めてですな」  すみ子は顔を覆った。  「恥ずかしい…。申し訳ございません」  「いえいえ。あなたの監禁事件は、テレビのニュースで知りました。大変でしたな」  「はあ。半分、自分で蒔いた種ですが」  すみ子は指の間から、片眼を覗かせた。  「あの。カオル…いえ、井中先生は」  「井中先生は昨日は中学の方に、心配をかけたお詫びにと出かけて…。午後は普通に授業をされたそうです」  すみ子は顔から手を離した。  「あの状況で、何て無茶な…」  「ご心配ですな」  宿村は意味ありげに笑った。  「で、今は待合室で、あなたをお待ちですよ」  すみ子が病室を出て待合室に至ると、作務衣を身に着けた男が、黒いトートバッグを横に置き、本を読んでいる。  (ふふ。何だか一昨日のコピーみたいな光景)  「カオルさん」  微笑むすみ子に、カオルが眼を向けた。  「すみ子さん。眼覚めて良かった」  「私、情けなさ過ぎ…。今日はもう土曜日ですよね。カオルさんは学校で授業してたのに、一昼夜以上、眠りこけてたなんて」  カオルは微笑んだ。  「生きるか死ぬかの状況が二日続いた訳だからね。疲れて当たり前だ」  すみ子は両手の拳を握り、上に突き上げた。  「でも、もう大丈夫よ。たっぷり眠ったし」  「よし。なら、早速相談なんだが」  「相談?」  「明日、日曜日の朝。時間あるかい?」  「いいけど…。朝から、何をするの」  「ある自然現象の観察だ。僕は昨日見たんだが、すみ子さんにも見て貰いたい。ついでに、僕が顧問をしている高雄中の野外観察部の二人にも、観察させてやりたいんだ」  「いいけど…。自然現象って、何のこと?」  すみ子は首を傾げた。  「何か、不思議な部屋だよね」  水色のトレーナーに身を包んだ少年が言った。  トレーナーは、「高雄中学」と胸元に刺繍されている。  太田灌二。野外観察部の部長である。  やはり水色のトレーナーを着た少女が、口元に手を当てた。  「そうね。竹細工の籠目みたいな鉄格子。時代劇に出てくる、囚人を入れる籠みたい」  野外観察部、副部長の上杉美希が、眼を輝かせた。  「今、時刻は?」  カオルの問いかけに、すみ子がスマホを見た。  「五時三十分。あと二分で日の出ね」  東の空に、仄かな光が差し始めている。  「今日は、太陽を観察するんですか」  灌二がカオルを見る。  「いいや。太陽じゃない。観察対象は、屋根と影だ」  「屋根と影?」  灌二と美希が同時に声を上げた。  「まずは、屋根だな」  カオルは東側に開いている窓を指差した。そこからは、濃い灰色の屋根瓦の連なりが間近に見える。  「今僕達がいる五重塔。外から見ると屋根が五重になっているだろ。そこにあるのは上から二番目の屋根なんだ。まずは、こいつを観察して欲しい」  「了解です」  灌二と美希が、同時に頷いた。  「観察対象の屋根が、もう一つある」  カオルは斜め前方に指先を転じた。  斜め前には山道を挟んで薬師堂が建っており、窓からその甍が一望できる。  「五重塔の屋根とほぼ同時に、ある変化が起きるんだ。見逃さないように」  二人が同じように頷いた。  「ふふ。お二人さん、すごく気が合ってるのね。何でも一緒」  「はい。いや、ええと…」  顔を赤らめる灌二の横で、美希が手を振った。  「たまたまですよ」  「ま、いいわ。ほら、お日様が出て来たわよ」  すみ子が東の空を差し示した。  東の空に陽が昇り始め、空が紅く染まり出している。  明るい陽の光が、全てのものを等しく、照らし始めていた。  「あっ。何だろう。何か光ってる」  灌二が声を上げた。  五重塔の屋根で、何かが光を発している。  「輝いてる。何か絵のようなのが、浮かんで来てる」  「綺麗。灰色の瓦に、金色の光…」  美希が眼を輝かせた。  「ニワトリに似た頭部に、細長い首。クジャクみたいな羽…。鳳凰だわ!」  すみ子が叫んだ。  「鳳凰って、伝説上の霊鳥。一万円札の裏側にも描かれてる、アレですよね」  灌二が受けた。  「多分、瓦の表面に一部金箔が施してあるんだな。朝日が特定の角度から差した時のみ、鳳凰の絵が浮かび上がって見えるようになっているんだ」  カオルが腕組みしながら、解説した。  「これってやっぱり、武内文之介さんの細工かしら。すごい仕掛けね」  すみ子が眼を見開いている。  「薬師堂の方も、見てご覧」  カオルが斜め前を指差すと、三人が一斉に視線を転じた。  「こっちも金色」  美希が呟いた。  「亀甲模様の甲羅。カメの絵だ」  灌二が言った。  「あっ! わかった! わかったわ」  すみ子が立ち上がり、手を打った。  「『鳳凰ト亀スベル』の鳳凰と亀って、これだったのね」  カオルは深く頷いた。  「そういうこと。僕も一昨日この光景を見てはじめて謎が解けたんだが…。五重塔が鳳凰。薬師堂が亀ってことなんだ」  すみ子は腕を組み、首をひねった。  「うーん。私にはまだ、謎…。五重塔と薬師堂の建物が『無限の宝』のありかを示す暗号と符合するのは理解できたけど…。この先はどうするの?」  「ここで更に観察するのが、影なんだ」  「あっ。最初におっしゃっていた観察対象ですね」  灌二がボンと手を叩く。  「そう。今度は西側を見て貰えるかな」  すみ子達三人が、西側の窓ににじり寄る。  カオルが下方を指し示した。  「問題は、五重塔と薬師堂の影なんだ。どんな風に見える?」  「どちらも、薄く長い影が大体平行に、伸びていますね」  美希が地面を指差した。  「現時点では、太陽は地平線に近い。太陽光線の角度がほぼ0度ですから、地上にある建物の影は薄く長いって理屈ですね」  灌二の答えに、カオルが頷いた。  「ご名答。ではその状態が時間とともにどう変化するか、観察をしてみよう」  太陽は次第に、南の空へ向かって高く昇って行く。  五重塔と薬師堂の影も、それに従って少しずつ形を変えていた。  「動いてる…。ホンの少しずつだけど、影が動いてるね」  影をじっと凝視していた美希が、灌二を見た。  「そうだね」  灌二が頷いた。  「太陽はだんだんと上へ昇って行くから、太陽光線の角度は次第に大きくなる。それに連れて、地上にある建物の影は濃く、短くなって行く」  「それと同時に、太陽は東の地平線から南の空へ向かって移動する。それで、建物に当たる光の方向も変化するから、影の向きが変わって行くんだわ」  灌二と美希は、お互いの顔を人差し指で指差した。  「つまり、それが『鳳凰ト亀スベル』ってことか」  頷き合う二人の横で、すみ子が叫んだ。  「見て! 滑った影が、交錯してる」  すみ子が指差す方向の地面で、五重塔の細長い影の先端と薬師堂の大きく短い影の先端が交わっていた。  「短い影と長い影とが地上を少しずつ滑って行くと、太陽光線の角度と方向の変化で交わる瞬間がある。それが今だってことだね」  灌二の言葉に、美希が頷いた。  すみ子が立ち上がった。  「二つの影の交錯点の地面を掘ると、『無限の宝』が見つかるってこと?」  「その通り。バッチリだ。本日の観察結果は満点だね」  カオルが親指と人差し指で丸を作る。  「一点だけ補足すると、暗号の最後から二行目。『彼岸ノ時』も意味があったんだ」  「えっ…。それって単に、武内文之介さんが暗号を作った時じゃないの?」  すみ子の問いに、カオルは首を振った。  「太陽って夏至の時には北寄りの東から昇るし、冬至の時には南寄りの東から昇る。春分と秋分、即ちお彼岸の時にはその中間だ。つまり同じく『夜明ノ晩』と言っても、季節によって日の出の光が差す方向が違って来るだろ。『彼岸ノ時』っていうフレーズは、お彼岸の時にのみ、暗号が示す屋根と影の光景が見えるよって意味だったのさ」  「あっ。だから今日の朝、日の出の観察だったのね」  「そうなんだ。今日は秋分の日から三日後。お彼岸は今日までだからね」  「十分、理解できたわ」  すみ子が深く頷いた。  「大体、交錯点の位置は把握できたし。早速、今から掘って貰ってもいいかしら」  すみ子が、他の三人の顔を見回す。  「勿論」  「ええ。そのために今日、ジャージ着て来ましたから」  灌二と美希が、ジャージをつまみながら笑った。             
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