4人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
(八)
「ごめんね」
五重塔を後にし、影の交錯点へ歩いて行く途上。
灌二がスコッブを担ぎ、美希がバケツを提げている。
その後ろに並んで歩くカオルに、すみ子が声をかけた。
「お宝の隠し場所の暗号。『籠ノ中ノ鳥』」
すみ子が、カオルを上眼遣いで見つめる。
「あれって結局、五重塔の籠目のある部屋に籠もって…。言い換えれば自分が『籠ノ中ノ鳥』になって、そこから見える光景を見ろ、だったのよね」
「そういうことになるね」
「私がはじめからあの部屋の存在を思い浮かべていれば、もっと簡単にお宝の隠し場所がわかっていた…。私が次の『夜明ノ晩』を日光菩薩と月光菩薩だなんて間違って解釈したもんだから、見当違いの薬師堂にカオルさんを連れて行ってしまったんだわ」
「いや」
カオルは首を振った。
「『夜明ノ晩』が夜明けの時間帯の終わりの方だって確信を抱いたのは、僕だって夜明けの眺めを見てからだ。僕も当初、『鳳凰ト亀』って南と北って間違えたから、お互い様だよ」
カオルは微笑んだ。
「それに、はじめは間違えて解釈したお陰で、佐久間さん達に殺されずに済んだ訳だし…。むしろ、佐久間さん達に五重塔に監禁して貰って、お宝に近づけたのも確かだ」
すみ子の顔にも、微笑が浮かんだ。
「そうね。終わり良ければ全て良し、かな…」
「あの。お話し中、申し訳ありません」
前を歩いていた灌二が、振り向いた。
「影の交錯点、この辺りかと…。間違いないですか」
すみ子はカオルから眼を離し、前方の地面に視線を向けた。
「ええ。この辺だったわ。松の木と桜の木の真ん中…」
カオルと灌二がスコッブを振るい、すみ子と美希が掘った土をバケツで運ぶ。
四人が黙々と作業をするうち、深さ三メートル程の穴が出来た。
「先生! ここに、固い大きなものがありますよ」
スコッブを持っていた灌二が叫び声を上げた。
カオルとすみ子、更に美希が道具を置き、灌二の元に駆け寄る。
「すごく大きな、平らな岩だ。これは匂うな」
カオルが呟く。
美希がしゃがみ込んで、赤茶色の土を掻き分けた。
「何か文字が、刻んでありますよ」
カオルが覗き込む。
「ム…ゲ…ン…ノ…」
すみ子が続いた。
「タ…カ…ラ…」
「『無限の宝』! とうとう、見つかったんですね」
美希の横で、灌二が悲鳴を上げた。
「あ、熱い!」
「えっ。太田君、どうしたの」
灌二は足元を指差した。
大きな岩の隅から、透明な液体が染み出していた。
そこから微かに、湯気が立ち昇っている。
美希が液体に、そっと小指を近づけた。
「きゃっ。熱い!」
「これって、もしかして、温泉?」
すみ子がカオルを見る。
「そのようだね」
カオルが無表情に、頷いた。
「がっかりだなあ…。無限の宝って、温泉だったの?」
すみ子が膝を突いた。
「金銀財宝、ザックザクかと期待してたのに。文之介さんって、ひょっとしてすごい食わせ者?」
カオルがすみ子の肩に手を置く。
「がっかりすることはないさ。温泉ってすごい宝物だよ」
「そう?」
カオルは首肯した。
「文之介さんの時代には、お寺に温泉が湧き出しても困るだけだったろう。だけど、今は価値観が変わっている。実際、お寺にお風呂を併設して、お墓参りの折りに入浴して貰っている例もある」
「そう言えば、聞いたことはあるわ。ウチの場合セレモニーホールがあるから、そこに温泉を設置するってのもありかもね」
「だろう?」
「で、少しばかり浄財をいただけば、積もり積もって山門の再建資金にできるかも」
「あのう…」
にこやかに笑いながら、美希が声をかけた。
「私達これから、来月の文化祭の打ち合わせがあるんで、学校へ行かないといけないんです」
言いながら、灌二の袖をそっと引っ張る。
「わかった。ご苦労さん」
カオルが手を上げ、すみ子が会釈する。
灌二の袖を指で捕まえなから、美希が山門の焼け跡方向へ歩き出した。
「打ち合わせなんて、あったっけ?」
美希の耳元で、灌二が囁いた。
美希は、黙って後方を指差す。
カオルとすみ子が手を取り合い、じっと見つめ合っている。
「僕達、お邪魔虫ってことか…」
「温泉のことは、おいおい考えればいいわ」
カオルの手の温もりを感じながら、すみ子が言った。
「カオルさん。私と付き合ってくれる?」
すみ子は俯き、眼を閉じた。
「結婚、前提で…」
「えっ…。結婚?」
カオルはのけぞった。
額に、汗が滲む。
「ずいぶん、うろたえるのね。普段は冷静過ぎる位、冷静なのに」
すみ子の手を握るカオルの手に、汗が滲んだ。
「いや。ちょっと待った」
すみ子が眼を開け、瞳を潤ませる。
「イヤなの?」
「いやじやない。すみ子さんは頭がいいし、とても綺麗だし…。何より僕を誰よりも理解してくれそうだ。僕にとって理想の女性に違いない」
「じゃあ、何が問題なの」
カオルの額に、更なる汗が吹き出ている。
「僕達、出会って間もないだろう。第一僕は奇人変人の類だ。僕の過去のことだって、まだ話してないし…。すみ子さんが後悔しないよう、僕を観察する期間が必要だと思うんだ」
「観察? そんなの、愛には必要ないわ」
すみ子はカオルの胸に飛び込んだ。
カオルの身体の温かみが、すみ子を柔らかく包み込む。
カオルは震える手で、すみ子の背中に手を回した。
「あなたこそ、私の無限の宝だもの」
カオルに抱きしめられるすみ子の頬に、大粒の涙が伝っていた。
最初のコメントを投稿しよう!