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 玲奈が弟の肩に手を掛けたが、弟はそれを払いのけ、赤マントの正面に立った。そして赤マントの仮面に憎しみの視線をぶつけた。 「そんなマントはない」  また赤マントは視線を下げ悲しげにいった。  何も起きなかった。  玲奈も智樹も、弟本人も立ち尽くして待っていたが何も起きなかった。  だが玲奈はこれが正解とは思えなかった。赤マントは兄の時と同じように「そんなマントはない」といったのだ。  ふと視界の端を黄色が横切ったのが見えた。蝶だった。黄色の蝶が一羽、ひらひらと飛んでいた。学術的には一頭と数えるのが正解だ。こんな時でも正式なルールが頭に浮かんでしまう。  蝶は玲奈の前を通り過ぎ、智樹の左肩に止まった。そのままゆっくりと羽を閉じたり開いたりさせている。  玲奈はその蝶から目が離せなかった。その羽の規則的な動きが、何かの準備運動のように思えたのだ。何か恐ろしいことの。  ひらひらひらと、数羽の蝶が現れた。突然、空間から生み出されたかのように次々に現れ、早川弟の頭や腕に止まり始めた。  視界を覆うほどのたくさんの蝶が現れ、弟の全身を黄色に染めてしまった。頭の先から足のつま先まですべてが蝶に覆われていた。  弟の全身に止まる蝶は全部が同じタイミングで羽を開閉させていた。 「ギャ、痛ッ」  弟が悲鳴を上げた。  蝶がパタパタと開閉の速度を速めた。 「痛い、痛い、痛い」  弟は悲鳴を上げているが、棒立ちになったまま一ミリも動いていなかった。まるで全身の蝶たちが凄まじいい力で弟の身体を押さえつけているようだった。  蝶の黄色の羽の色が変わっていった。根元から徐々に赤色に染まっていく。  弟の全身にとまる黄色の蝶はすべて真っ赤な蝶に変わっていた。  蝶たちの羽の開閉が一際激しくなった。  突然、一斉に羽を開いたまま動かなくなった。  玲奈は呪縛が解けたかのように、弟に向かって踏み出した。  それが合図になったかのように、弟の肩に止まっていた蝶がひらひらと飛び立った。その蝶は怪人赤マントのマントに止まるとそのまま溶けたかのようにマントと一体化して消えていった。  次々に蝶は弟の身体から飛び立ち、マントの中に消えていった。  弟は立ったまま死んでいた。血だけでなく、全身の水分も抜かれたかのように干からびていた。もう美にこだわる早川兄弟の面影はなく、人の死体ではなく古木のようにしか見えなかった。  学生服を着た古木は自分の重さに耐えきれなくなり、崩れていった。カサカサと音がした。折れるのではなく、風化して塵になってしまったようだった。  兄の学生服の上に、弟の学生服がふわりと重なっていった。袖から出た粉が、もう乾きつつある赤いヘドロの液体に降りかかっていった。 「赤マントか、青マントか、どちらか選べ」 「馬鹿の一つ覚えで、同じこといいやがって」  智樹が毒づいていた。すぐ目の前で同級生が殺されたのだ。だが赤マントは泣く暇も休む暇もなく問い詰めてくる。 「玲奈、どうする? 緑も、黄色もダメ。もちろん赤も青もダメだよ。なんて答えればいいんだろう」  玲奈の頭には二つの選択肢が浮かんでいた。運が良ければ、どちらかが生き残れる。問題はどちらがどちらの色を選ぶかだ。 「たぶん、正解は、黒か白のどちらかよ」 「そうなの? そんなマントはないって言われないかな」 「じゃあ、なんて答えればいいの? いい考えがあるならいって」  玲奈はつい強い口調で答えてしまう。 「それはないけど」 「案がないなら、反論しないでくれる」 「私が白を選ぶわ。それで生き残れれば智樹も白を選べばいい。私が死んだら黒マントと答えればいいの」  玲奈は左腕の『風紀』の腕章に自分の右手を置いた。 「じゃあ、答えるね」  そういって智樹に微笑みかけた。さっきの冷たい口調を反省したのだ。これが最後の別れになるかもしれない。  規律を守ることは生徒を守ることだ。そう思って風紀委員として頑張ってきた。でもたまにはルールを破るのもいいかもしれない。そんな気もしていた。  この可愛いイケメン同級生との恋愛も素敵なことなのかもしれない。社会に出た時に役に立つ勉強なのかもしれない。 「白マントよ。私は白マントを選ぶ」  玲奈は高らかに宣言した。  潔白、純白、清白の白。玲奈の一番、好きな色。自分を象徴するイメージカラー。正解に間違いない。  不安げな智樹を安心させようと自信を持って答えた。 「そんなマントはない」  玲奈は赤マントがなんといったのか理解できなかった。 「えっ、嘘だ」  智樹が叫んだ。
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