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その日、華やかに行われていたレセプションパーティーはある出来事を切っ掛けに一気に修羅場へと化した。
パーティーも終盤に差し掛かってきたとき。
ウエイターが持っていたトレーからシャンパンの入ったグラスを取ろうとした露草の右側から誰かがトン、とぶつかってきた。
明るく染められた長い髪がふわりと舞い、その髪から甘ったるい匂いが漂ってくる。
視線より低い位置からか細い声が響いた。
「ごめんなさい」
身体がぶつかっただけにしてはやけに震えている声に、露草は妙な違和感を感じた。
それと、今まで聞いたことのないような鈍い音も。
次の瞬間、鋭い痛みが右の脇腹を襲った。
痛む場所を見下ろすと、若紫色の羽織にどす黒い染みが広がっている。
そこに指を這わせるとぬるりとした嫌な感触がした。
シャンパンを零されたにしては色の濃い染み。
その染みがみるみると羽織を染めていく。
そこでようやく気がついたのだ。
それが真っ赤な鮮血である事に。
何が起こったのかわからないが、血が吹き出している部分からこの世の痛みとは思えないほどの激痛が襲ってくる。
露草はハッとして顔をあげた。
目の前には露草がエスコートしていた客が、同じく脇腹を押さえて倒れこんでいる。
その手はやはり血まみれで、真っ白なスーツが赤く染まっていた。
露草たちの異変に気がついた周囲から悲鳴が上がり、会場は一気に騒つく。
しかし、誰も近寄ろうとしてこない。
当然だ。
目の前には血の付いた刃物を両手に握りしめ、真っ青な顔をした女性が立っているからだ。
女は露草の事ををまるで汚物でも見るかのような眼差しで見下ろしていた。
きっと本来なら美人の類に入るだろうその顔は、醜く歪んでいる。
まるで般若のような形相から女の強い私怨を感じた。
「ねぇ私…本気だったのよ…ずっとずっと好きだったのに…なんで私じゃダメなのよ!?おかしいでしょ?だって男よ?!この人男じゃない!!」
きっとこの女は露草がエスコートしていた客の婚約者か恋人だったのだろう。
それが突然婚約を解消され、一方的に別れを告げられて、淫花廓の露草に執心しているのが許せなかったに違いない。
同性同士というものに理解のない女性にとって淫花廓で働く男娼はそういう目で見られるのが常だ。
露草自身も似たような経験があるため、女の気持ちがわからないわけでもない。
しかし、見ず知らずの女からの怨恨で刺されて命を落とすなんて馬鹿げてる。
まだ、露草と客の男が本気で愛し合っていたらわからない話でもないが、露草にとって客はあくまで客。
今まで客の事を恋人だとか特別だとか思った事は一度もないのだ。
しかし、今それをここで公に訴えることはできない。
客の体裁は悪くなるだろうし、女にとってはますます火に油を注ぐ切っ掛けになりかねないからだ。
じゃあどうすればいい?
このままでは二人とも女に殺されてしまうかもしれない。
倒れこんでいる客の方は傷口が深いのか、もうほとんど意識がなくその顔色もみるみる紫に変色していっている。
露草自身も大量に血を流しているせいか、激痛に加え目眩まで襲ってきた。
「どうして?どうして女の私が負けなきゃならないのよ……こんなふしだらな…ましてや男なんかに…!!」
女はまだ怒りが冷めないのか、露草に向かって罵声を浴びせてくる。
「死んで…死んでよ…目障りだから死んで!!」
再び振り上げられる凶器に、露草はもうダメだと思った。
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