828人が本棚に入れています
本棚に追加
ぎゅっと目を瞑り、と露草は最期を覚悟した。
呆気ない人生だった、何の爪痕も遺せなかった。
二十年と少し、思い返せば空っぽな人生だったなと思う。
愛した男には:尽(ことごと)く捨てられ、愛されてると思っていたのは全くの勘違いで。
ぼろぼろになって、それでも誰かを求めて、また同じ目にあって絶望して。
それでもやっぱり人が恋しくて、空いた穴を埋めるように人肌を求めた。
でもどんなに沢山の人間と触れ合っても、心の穴はぽっかりと空いたまま。
結局露草の事を心の底から愛してくれる人ただの一人もいなかった。
そんな佗しい人生に、いい加減嫌気が差していたところだ。
だから自分にはこういう最期がお似合いなのかもしれない。
人に愛されなかった露草が、誰かの愛憎によって殺される。
皮肉な話だが、結局人生なんてそんなものなのかもしれないと今更ながら悟ったのだ。
「ふふ…」
なんだか妙に笑えてきて、露草は思わず口元を緩めた。
死ぬ間際で笑えてくるなんておかしいけれど、皮肉な最期を自分で笑ってやらなくてどうする。
泣き叫んで、醜くもがきながら終わるより何倍もマシだ。
そんな馬鹿みたいな事を考えながら、露草は静かに死を待った。
しかし、いつまでたっても刃物が突き刺さる感覚がどこにも襲ってこない。
どうせやるなら一思いにやってほしい。
心の中で舌打ちをすると、恐る恐る瞼を上げる。
しかしそこにいたのは、凶器を振りかざす半狂乱の女ではなかった。
薄い黄褐色の着流しの背中が目の前で露草を庇うように立っている。
「……え?」
銀鼠色の髪と、ふわりと香る刻み煙草の匂い。
その見覚えのある男の後姿に、露草は思わず声を出して驚いていた。
「オー…ナー…?」
楼主の右手は女の振り下ろした凶器をしっかりと止めていた。
:柄(え)の部分を掴み損ねたのか、刃を握った掌からぽとぽとと血が滴っている。
しかし楼主は一歩も引く事なく、女が力任せに振り下ろした凶器をグッと押し返した。
「うちの大事な:男娼(商品)にこれ以上傷をつけるんじゃねぇよ、お嬢さん」
楼主はゆったりとしたいつもの口調でそう言うと、女の手から刃物を叩き落とす。
すぐにそれを蹴り飛ばした。
「何すんのよ!!こいつは私の人生をめちゃめちゃにした男なのよ!!殺されて当然の事をしたのよ?!死んで詫びるのが当然でしょ」
凶器を奪われた女は、畏縮するどころかますます感情を高ぶらせて楼主と露草を睨みつけてくる。
人を傷つけた自分の罪の深さなどはもう頭からすっかり抜け落ちているらしい。
「あぁ?だったらてめぇとその男二人でやってろや」
突然楼主が低い声で一喝した。
あまりにも凄みのある威圧的な声色に、辺りがしん、と静まり返る。
露草でさえ圧倒されて目を見開いたほどだ。
楼主と対面していた女が急に青ざめた表情になるとガクガクと震えだす。
その身体からみるみる力が抜け、その場に崩れ落ちたかと思うとワッと泣き叫んだ。
楼主はすぐに人を呼び、テキパキと指示を与え始めた。
女は警備員に取り押さえられ、刺された客と露草の元へ人が集まる。
「大丈夫ですか?」
「痛みますか?」
止血をされながら次々と訊ねられるが、露草はもうまともに受け答えできる状態ではなかった。
ホッとした途端、忘れかけていた激痛が一気に襲ってきたのだ。
しかも出血のせいか、クラクラと眩暈もする。
冷や汗は流れてくるし、寒いし、もうどこが上で下かもわからない。
落ちていく意識の中で、ふと誰かが髪を梳く気配がした。
優しくて、温かい手が心地よくて、露草は思わずその手を掴むと強請るように頬擦りをする。
「…遅くなって悪かったな」
その手からは刻み煙草の香りがした。
最初のコメントを投稿しよう!