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気がつくとそこは病院のベッドの上だった。 担当の医師から手術は無事に終わった事、臓器の損傷や大きな血管の損傷はなく三週間程度で退院できる事が告げられる。 客の男も出血が酷かったものの一命を取り留め、違う病院で治療を受けているらしい。 露草と客の男を刺したあの女も駆けつけた警察に連行され、直ぐに逮捕されたと聞かされた。 「もう安心していいんだよ」 優しく掛けられる言葉を、露草はどこか他人事のようにぼんやりとした頭で聞いていた。 何もやる気が起こらない。 怪我を治して早くここを出たいとも何も思わない。 目が覚めた瞬間から露草はずっと無気力で抜け殻のようになっていた。 理由はわかっていた。 自分が生きていた事に対して心の底から素直に喜べていない事に気づいたからだ。 別に自殺願望があったわけではない。 だからといって生きたいと強く望んでいたわけでもなかった。 自分が死んだところで誰も悲しまない。 露草が死のうが生きていようが、この世界でそれをどうこう思う人間なんていない。 だったらこれから先自分が生きていく事にどんな意味があるのだろうか。 つまり露草は生きる意味というものが全くわからなくなってしまったのだ。 出された食事にも手をつけず、ぼんやりと外の景色を眺めていると扉がノックされる。 短く応答するとすぐに扉が開いた。 入ってきたのは楼主だった。 露草は少し驚いた。 彼がいつもの着流しに羽織り姿ではなかったからだ。 シルバーのスリーピーススーツに藍色のコート、肩からは白いストールを垂らしている。 確かに似合ってはいるのだが、無骨で不愛想な男の近寄り難いオーラがますます引き立てられているような感じがしてならない。 恐らく病院内では着物姿が目立つからとスーツにしてきたのだろうが、逆に目立ってしょうがないんじゃないだろうか、と露草は思った。 楼主は特に何も言わず靴音を鳴らしながら近づいてくると、ベッドの脇にある床頭台に持っていた何かを置く。 露草は視線を落としたまま顔をあげなかった。 ふと、視界の中に包帯で覆われた楼主の右手を捉える。 それは露草を庇った時に負った傷だと直ぐに悟った。 確か露草に向かって振り下ろされた凶器を、この男は素手で止めていた。 刃物を素手で…考えるだけでゾッとする。 普通、あんな状況になったら誰だって尻込みするはずだ。 現に露草の周りにいた人間たちは怯えて誰一人近寄ろうとしてこなかった。 当然だ。 発狂した人物を前にもしかしたら自分が刺されるかもしれないという危険を冒してまで、他人を助けるなんて誰もが容易にできる事ではない。 だけどこの男は何の躊躇いもなく飛び込んできて、止めた。 露草の命を救った、謂わば命の恩人なのだ。 しかし、お礼を言わなければいけないと思いながらもなぜか躊躇ってしまう。 言葉が喉につっかえて出てこない。 あの時この男が止めなければ、露草はここにはいなかったかもしれない。 あの時この男が来なければ…ここから解放されて楽になっていたかもしれない。 そんな考えが頭をぐるぐると廻り、露草を暗い気持ちに引きずり込んでいくのだ。 「陰気くせぇ顔だな。何だ、傷が痛むのか」 黙り込む露草を見兼ねたのか、とうとう楼主が口を開いた。 いつもの気怠げでぶっきらぼうな口調だ。 「いえ」 露草は答えると肩に掛けた羽織りをぎゅっと握りしめた。 指先が僅かに震えている。 「強がるな。痛ぇ時はちゃんと言え」 ナースコールに手をかけようとする楼主の左手を遮って、露草は畳み掛けるように訊ねた。 「どうして僕を庇ったりなんかしたんですか」 楼主はほんの少し逡巡するとため息をついた。 「てめぇは淫花廓にとっちゃ大事な:男娼(商品)だ。あそこで死なれちゃあ店の体裁も俺の都合も悪くなるんでな」 高級廓の楼主らしい答えに思わず苦笑を浮かべた。 当然の答えだ。 こんな:薄情を絵に描いたよう|な男に何を望んでいた? 「死んでもよかったのに」 露草はぽつりと呟いていた。
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