8.藤倉くんと言葉

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8.藤倉くんと言葉

「なぁ、お前俺に隠してることあるだろ」 「な、無い…よ」 「何で連絡も返さないで学校にも来なかったんだ?」 「別に…それは澤くんももう知ってるんじゃないの」 「ふうん…。俺ね、嘘つくことは別に悪いことじゃないと思うんだよ」 幼い頃読み聞かされた絵本の中ではいつも、嘘つきが悪者になっていた。確かに、自分の利益の為に誰かを傷付けたり騙したりするような嘘は駄目だと思う。だけどこいつの場合は、きっと違う。 俺の買い被りかも知れないけれどこいつが嘘をつくことがあるならきっと、自分自身じゃない何かを守る為なんだと思う。 「隠し事なんて…何も無いよ」 「何度も言うけど、嘘が必ずしも駄目だとは思ってないよ。だけど本当のこと言うことが格好悪いとも思わない」 両手で固定して真っ直ぐに見据えた瞳は、何を思っているのか戸惑ったように少し怯えた表情を見せる。 ガタイの割に臆病で繊細で、本当面倒臭い奴。こいつはたまにこうして無理矢理にでも引っ張り上げてやらなくちゃ、自分自身をどこまでもどこまでも貶めてしまう。 本当に、面倒臭い。だから放っておけない。 「…おれ、は」 「殴ってないんだな」 断定だった。 部長の話を聞いた時から何となく感じてはいたのだが、今日直接こいつに会ってそれが確信に変わった。 丸く見開かれた目は、それだけで肯定しているようなものだ。自分がやっただなんて、何でそんな嘘をついたのかは聞かなくても分かるけど。 それにもしこいつが本気で殴っていたとしたらまず無事で済む筈が無い。鼻の骨どころか顔面が原型を留めているかすら怪しいだろう。 結局こいつは何も悪くないんじゃないか。なのに何で、こいつはこんなにも自分のことを責めるのか。 「殴ろうとしたよ。だから殆ど殴ったのと同じ」 「全く違うだろ馬鹿。何で止めたの」 「あいつ、嗤ってた…。澤くんとの試合の後で、勝ち誇ったみたいに。クソみたいな方法で怪我させた癖に…。だから…!」 「だから?」 こんなに辛そうな表情をさせるくらいなら話さなくていいと、いつもなら思う。だけど今は違う。吐き出すのにどれだけ嫌な思いをさせたって、これは聞いてやらなくちゃいけない。自分から言わせなくちゃならない。じゃなきゃこいつはこんなにもトゲトゲしたものを、ずっと自分の中に閉じ込めてしまうだろうから。 それは絶対に、させてはいけないことだと思ったから。 「試合終わったあと、体育館裏…で、捕まえて、胸ぐら掴んで…」 「うん」 え、待ってお前試合来てたの?体育館にはバスケ部の他に誰も居なかった筈なのに、何処から見てたの?とかいう疑問は今は華麗にスルーだ。気にならないと言ったら嘘だけど今そこ突っ込んじゃうと肝心なこと聞けなくなっちゃう気がするから。 …まぁこれについては後々追及してみるとしよう。 「ぶん殴って…やろうとした。同じ目に、いや、もっともっと痛い目に遭えばいいんだって…思って。振りかぶって、そしたら…」 「そしたら?」 「…さわくんが、わらってた。あの時言ってくれたこと、思い出して」 「あの時?」 「こんなおれのこと、優しいって、言ってくれた。おれは結局昔みたいに、暴力に訴えるしか出来ないのか…あの頃から、何も変われてないんじゃないかって、思って…」 「それで、殴るのを止めたの」 「………手を出したらもう、さわくんがあんな風にわらってくれなくなる…気がした」 段々伏せられてゆく瞳を長い睫毛が邪魔して、その奥に隠された色までは見えなくて。それが少し、もどかしかった。 俺の言葉が、藤倉を変えた。 これは喜んでいいことなのだろうか。 昔のことは分からないけれど、どうやら俺は暴力で訴えることしか出来なかった不良少年を更正させたらしい。そう言えば聞こえは良いだろうが、俺は…本当にこれで良かったのかしっくり来ない。勿論こいつに簡単に暴力を振るうようになって欲しいとは微塵も思っていない。 だけど俺の言葉が、藤倉を縛り付けた気がしてならない。俺は本当のこいつのことなんて何も知りはしないのに、「優しい奴」だというレッテルを貼ってこいつを狭い檻に縛り付けたんじゃないかって…そんな風に感じてしまう。 俺なんかの言葉が、藤倉を塗り替えていく。意図的じゃなくても、何気無く発した俺なんかの言葉がこいつの中で重さを持って、こいつの感情や行動に影響する。 藤倉は優しい。そう思うのは、嘘じゃない。だけど優しいから、優し過ぎるからこそこんな風に、自分自身を傷付けてしまうのではないか。 それが、怖いんだ。 俺はそれが、すごく怖いんだよ、藤倉。 「お前はもう十分、自分を罰したよ。十分過ぎるくらい、自分を傷付けた」 これは完全に俺のエゴだけど。お前がそんなに自分自身を傷付けるくらいなら、あのボール野郎を思いっ切りぶん殴ってくれた方が数億倍良かったなんて思っちゃうよ。 だってお前がそんな風に傷付く方が、俺は嫌だよ。自分自身が傷付くよりもずっとずっと嫌なんだよ。 あぁそうか。 もしかしてお前も、こんな気持ちだったのかな。お前も、あの時こんな嫌な気持ちを味わったのか。だからボール野郎に…? 自惚れかな。それでも俺の上に覆い被さっている藤倉の瞳はまだ迷子の子供みたいに不安そうなままで、ちらりと俺の顔を窺ってはまた伏せて不安の色を濃くしている。 「ごめんなさい…」 「もう分かったってば。そもそもお前何もしてないんじゃん」 「した…ようなもんだし」 「まぁ噛まれたのはビビったけど」 「そ、れも…すいません…」 「まぁそれはともかく、殴ってないんだろ?何で休学したの?」 「さわくんにも結局迷惑かけちゃったから…」 成る程ね。やっぱりそういう事だろうと思ったよ。あのまま自分が名乗り出なかったら、向こうの思惑通り俺が犯人に仕立て上げられると思ったんだな。 まぁ一部はこいつ自身が蒔いた種でもあるけど、何もここまでしなくても良かったのになぁ全く。「ほどほど」っていう素晴らしい言葉を知らないのかこいつは。
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