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「ふ、ふぁ、まっ、んんんっ!」
俺の言葉を全て飲み込んでしまう形の良い唇。いつもはヘラヘラと緩く弧を描いているその口は、今は俺の口と言葉を塞ぐことに精一杯みたいだ。
…都合が悪いのか?
俺が話すと、決意が揺らぐのか?
その程度の覚悟ならば、やめてしまえ。
ガリッと俺の中を犯し続ける舌を噛んでやると、予想外の事態に驚いたらしい藤倉が漸く口を離した。
その隙にさっと呼吸を整えて、言葉を紡ぐ準備をする。お前を傷付け続けるお前を、止める準備を。
「はぁ、は…。藤倉。ストップ」
ピクリと、俺の上の身体が震えたのが分かった。一瞬俺を押さえる力が緩んだ隙に自分の両手首を解放すると、まだ真上で自分を傷付け続けようとする不器用な彼の両頬に手を添えてもう一度囁く。
「もういい。もう十分だから」
それでも彼は止めようとしない。垂れ下がった前髪の隙間から一瞬だけ覗いた光には迷いが見えた気がしたけれど、震える手でやっぱり無理矢理に俺の服を脱がそうとしてくる。
あぁもう、マジで面倒臭ぇなっ!
「藤倉!待てっ!!」
バシッと思いっ切り両頬をひっぱたいて俺は叫んだ。再び吃驚したのか藤倉はピタリと全身の動きを止めて、その場に凍り付いたように固まっている。
もういい。もう十分だよ。
「駄目だよ。それ以上は、赦さない。それ以上お前を傷付けるのは俺が赦さないよ、藤倉」
「なに…言ってんの?傷付けられようとしてんのは澤くんの方だろ…」
漸く聞けた、藤倉の声。
いつもの飄々とした明るい声ではないけれど、久しぶりに言葉を交わせた事に俺はとても安心した。だけど、こいつがやろうとしたことについては、ちゃんと叱らなきゃならない。だってそんなこと俺も苦しいし誰も得しない。何よりお前が一番苦しむことだから、それは駄目だって言わなきゃいけないと思うんだ。
そうやって、二人で歩いていきたいと思うんだ。そう思ったからこそ、約束したんだ。
あの約束をした時から、どんなに不器用でもお前に真っ直ぐ向き合おうって俺は俺と決めたんだ。それがどんなに怖くても、痛くても苦しくても、そう決めたんだよ。
お前が例え拒んでも、俺は諦めたりしない。…諦めたくない。手離したくないから。
「そんな苦しそうな顔で、お前は何でそんなに自分を責めるの。良くない癖だよ、それ」
「澤くんに言われたくねぇよ…んで、何でまだ優しくすんだよっ?!普通嫌だろっ?!拒絶するだろっ!?嫌いになるだろこんな奴!!」
「藤倉、俺は」
「嫌いになれよ…俺を嫌えよっ!!」
ビリビリと、鼓膜が痺れるほどの音が真四角の部屋に響いた。まるで悲鳴みたいな、痛々しい音。けれど離しがたい、とても愛おしい音。
「………やだ。むり」
「何で怖がんないのっ?!何でもっと嫌がんないのっ?!何でもっと本気で抵抗しないんだよっ!!」
「ふじくら…」
まるで感情のコントロールが出来ない赤ん坊みたいだ。それか、人間を警戒する野性動物。きっと自分でもどうしたらいいのか分からないのだろう。
「本当にどこまで馬鹿なんだよ…。馬鹿にも程があるだろ…」
うわ、はっきり馬鹿って言われた。こいつに言われると無性に腹が立つのは何でだろう。
「何お前、俺に嫌いになって欲しいの?」
「ってか普通なるだろ…」
項垂れたせいでまた髪が顔を隠して、やっぱりあの輝きは見えない。俺の好きな、大好きなあの一等星。ちょっとしたことですぐに雲に隠れてしまう、だけど他のどこを探しても見つからないあの輝き。
嫌いになんて、なれる訳ないのに。
「ほんとに?」
「………なれよ」
「本当に嫌ってもいいんだな?」
「…だから、そう言って…」
「じゃあ言ってやる。きらい。お前のことすっげー嫌い」
「…っ」
これはちょっとしたお返しだ。お望み通り「嫌い」って言ってやった瞬間、藤倉は身体をピクリと強張らせて眉間の皺を濃くした。自分でもどんな顔してるかなんてきっと分かってないんだろうな。
あぁ全く…自分で言い出した癖に、馬鹿はどっちだよ。
「嘘だよ。本当に嫌いならとっくに蹴り飛ばしてる。…おいで、いおり」
すっと腕を広げて、微笑みかける。そうすると藤倉は迷いながらも突っ張っていた手の力を抜いて、俺の腕の中にすっぽり収まってしまった。こうして全体重を預けられると流石にちょっと重いなぁ。
全く素直なんだか素直じゃないんだか。こいつの母さんが言ってた通り本当面倒臭い奴。本当に、どこまでも面倒臭い奴だ。
久しぶりの彼の匂い、体温、柔らかい髪の感触。
藤倉はさっきまでの荒々しさが嘘のように、今は完全に懐いた猫みたいに俺の腕の中で力を抜いて安心しきっているようだった。
やわやわと頭を撫でる。
するとやがてポツリと、耳元で小さく彼が溢した。
「………ごめん」
「…ん」
こんなに近くても取り零しそうになる音で、やっと紡がれた言葉。彼自身の本当の言葉。
少しずつ、輝きを取り戻し始めた小さな小さな光。
俺はそれを大切に受け取ってまた、狭い手の中にしまいこんだ。
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