赤の記憶

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 地下鉄に乗って職場に向かう。  今日指定された派遣先へは、丸ノ内線を利用する。  丸ノ内線の色は……  確か、『赤』だ。  つり革に掴まり、目を閉じて路線図を思い起こす。  赤、青、黄色、色とりどりで迷路のように描かれた、あの頃の地下鉄の路線図を。  20××年。  第三次世界大戦に敗北した我が国は、某国の支配下となった。  壊滅的な攻撃を受け続けた日本国は、勤勉で手先が器用な我々日本人が、今後某国の軍需産業の一端を強制的に担う事を条件として、降伏を受け容れられた。  我々が失ったのは、「自由」や「尊厳」だけではなかった。  彼らは我々の世界から、すべての「色彩」を奪った。  軍需産業の効率化を図るためという理由で、スポーツ、芸術、娯楽に関するものは無論一切禁止。華美な服装も禁じられ、まるで囚人服の様な統一された衣服しか与えられず、街からも次第に『色』が失われていった。  『色』は、人間を高揚させる。おまえ達にはもう必要のないものだとされて。  建物、車、電車、それらは次々と塗り替えが命じられ、街は次第に灰色と化していった。  唯一残された花や緑の生物の色彩も、汚染された空気を排出し続ける、終日稼働の武器工場の影響で、植物は枯れ果て、鳥や動物も姿を消し、その色さえも失ってしまった。  この国の人間は、武器を生み出すために、ただ生かされているだけの日々を送り続け、はや数年。  地下鉄に揺られながら、記憶の隅の『赤』を呼び起こしてみる。  温かい色だった。  日の丸の旗の色だった。  正義の色だった。  息子の、好きな色だった。  幼い頃の息子は、電車が大好きな子供で、息子を喜ばせるために、一緒に電車で街巡りをしたり、写真を撮ったり、路線図を覚えたりもした。  迷路のような地下鉄路線図も、息子の大のお気に入りだった。  地下鉄は走る。  かつて東京と呼ばれた、この街の地下を。  息子はきっと地下にいる。  某国に支配されたこの国を、もう一度自分たちの手に取り戻すために、反乱軍を率いて地下に潜伏するのだと言って、彼は私の前から姿を消した。  クーデターを起こす機会を、この地下のどこかで今も狙っているはずだ。  電車が霞ヶ関に着いた。  車窓の向こう、みな同じ作業着姿の若者の集団が、降りていくのが見えた。  数人の若者たちがポケットから何かを取り出し、同じような仕草で首に巻き始めた。  それは真っ赤なスカーフだった。  かつてテレビの中で我々の胸を熱くした、ヒーローが首に巻いていた物に似た、深紅のスカーフ。  ホームで彼らを待っていた、やはり赤いスカーフを巻いた男が手を挙げた。  その顔に見覚えがあった。  忘れもしない、その顔は……  電車の扉が閉まる。 「 ─── っ!! 」  叫んだ息子の名前は、地下鉄の轟音でかき消されていった。  その夜、  クーデターは起きた。   〈了〉
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