12.

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12.

 しばらくの沈黙の後、ドアが開いた。この部屋のドアに鍵はない。階下の店の合鍵さえ持っていれば簡単にここまで入って来られるのだ。 「生きていたんだ」  闇の向こうから声がした。そうして現れたマシロの姿に俺は驚いた。マシロの顔は頬が削げ落ち、目の下にはここ数日眠っていないのではと思われるような青黒いクマができていた。目の前にいるマシロは俺の知っている明るい顔をした可愛いマシロではなくなっていた。俺がその変貌に声が出ないでいると、当の本人はそれを面白がるように言った。 「なんだ、君も僕が生きていてがっかりかい?」 「……そんなこと、思ってない」  俺はやっとそう言った。唯一の光源である電気スタンドのゆるい光で浮かび上がる彼の顔には凄みさえある。俺は微かな恐怖を覚えた。 「何しに来た、そんな顔だね」 「……何しに来たんだ」 「返しに」  ぶっきらぼうに言って、布団の上に何かを放り投げた。見るとそれは鍵だった。赤いリボンの付いたあの鍵だ。 「何で……?」  俺は手を伸ばしてそれを取ると、マシロの顔を改めて見た。 「この鍵はマスターが持っているはず」 「グレーのスーツを着た男から渡されたんだろ? あれね、コピーだよ。こっちがオリジナル。簡単に渡すわけないでしょ。これは森さんの形見なんだから」 「それを、何で返しに来たんだ」 「もう、いらないから」 「……どうして」 「質問が多いね。やな感じ」 「あのさ、マシロ」 「僕は近いうちに死ぬと思う」 「……え」  唐突な言葉に俺は口ごもる。マシロは冷静に言葉を継いだ。 「あの男は、君も体験したようにしつこくて残酷だ。自分を騙し、金のありかを知っている僕をそのままにしておくはずはないよ。彼はプロだからね」 「逃げろよ」  俺は思わず声を張った。 「金なんかさっさと返して逃げろよ。この街を離れなよ」 「この街を出て行くのは君の方だ」  きっぱりとマシロは言った。 「僕は君のそんな生ぬるい優しさなんかいらない。君はこの街に向いていないんだ。出て行けよ。自分の世界にとっとと帰れ。……それから言っておくけど、例え僕が死んでも、頼むから悲しんだりしないでくれよ。君になんか悲しまれたらさ、気色悪くておちおち成仏もしてられないからさ」 「なんでそんなこと言うんだよ」  苛立って俺は言った。本気でマシロの身を心配しているのに。 「鬱陶しい」  短く、冷たくマシロは答えた。 「初めて会った時からそう思ったよ。僕はね、君のことが最初から嫌いだった」  そう言ったマシロの顔がほんの少し泣いているように見えたのは光の加減のせいだろうか。俺は勢いをそがれて黙り込む。 「もっと安全でいい世界にいたくせに、望めばずっとそこにいられるくせに、何があったか知らないけどわざわざ家出してこんな場末のバーなんかに居ついて……君、一体、何がしたいんだよ? 僕たちはここを出て行きたくても出て行けない。行き場がないんだ。……森さんはさ、僕を連れてここを出ようって言ってくれたたったひとりの人だった。あの男からもう話は聞いているよね? そう、森さんはそのためにヤバイことしたんだ。とんでもないところから金を盗んだ。その金もヤバイ金だったんだけど、そういう金なら盗んでもいいだろうって。馬鹿だよね。上手く行くわけないじゃん。あっという間に追い詰められて、殺されちゃった。……あの人、今、どこにいるのかなあ。海に重りを付けられて沈められているのか、山に埋められているのか、僕はそれすらも判らない」  マシロは血の気の引いた顔でまっすぐに俺を見た。 「アキラも死んだ。首吊りに見せかけて殺したのは警察を欺くためじゃない。あれはただの見せしめだ。兄を見捨て、あの男を騙した僕に対してのメッセージなんだ。お前はこんなひどいことをしたんだぞ、次はお前だぞってね。僕はアキラを見殺しにしたんだ」 「アキラが逃げろって言ったんだろ」
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