7.

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7.

「ねえ、知ってる? あの子、死んだらしいよ。もう、大変でさ」  夜も深い時間に入った頃、仲間内でエイミと呼ばれているなじみの中年娼婦が店に入るや否、大きな声で俺にそう言った。 「誰のこと?」  カウンターにもたれかかるエイミにそう尋ねると、彼女はじっと俺を見据えて短く言う。 「双子の片割れ」 「双子?」  この辺で双子といえば、彼らしかいない。俺は不安になりながら言葉を継いだ。 「もしかして……アキラたちのこと? 死んだって……どっち?」 「アキラの方よ。持ち物の中に免許証が入ってたから名前が判ったんだって」  アキラが……死んだ?  頭が一瞬、しんとして、次にかっと熱くなる。  何? 死んだってどういうこと? 「聞きたい?」  俺の様子をみつめる女の、濃い化粧の顔に優越感が浮かんだ。 「詳しく知りたい?」  俺が黙って頷くとエイミは嬉しそうに話し始める。 「自殺なんだって。ほら、街外れに倉庫街があるでしょ。使われてない倉庫がたくさんあるじゃない? その倉庫のひとつで首吊ってたんだって。警察が来て大変で。あたしも仲間だと思われて警察にいろいろ聞かれたのよ」 「……自殺なのに?」  やっとそう言うと、エイミは首を横に振った。 「実はさ、自殺は見た目だけなんだって。これ、内緒なんだけど、本当は殺されてその後、自殺に見せかけて吊るされたんじゃないかって警察は疑っているんだよ。体中に殴られたような跡があったって。客とトラぶったのかなあ。他人ごとじゃないよねえ」 「……あ、うん。……エイミも気をつけて」 「あんたもね」  にやりとみだらに笑うと、エイミは店の奥へと歩き出した。その背中に俺は慌てて言った。 「マシロはどうしたの?」 「知らない」  振り返りもせず彼女は短く言って歩き去る。喋るだけ喋ると、その件についてはもう興味がなくなってしまったようだ。薄情と思う反面、そんなものだろうとも思う。他人の死にいちいち動揺する繊細な心ではここではやっていけない。それは判っている。判っていても俺は明らかに動揺していた。  突然知らされたアキラの死。知り合いや身内とまだ死別した経験のない俺は、初めて、しかも唐突にもたらされた『身近な死』をどう受け止めていいのか判らないでいた。悲しいと思うほど深い繋がりはなかったが、だからと言って平気でもいられない。なにより気がかりなのは、片割れを亡くしたマシロのこと。毎日のように店に現れていた双子の姿をここしばらくの間、見掛けていない。そうだ。あの妙な男が現れて合鍵を置いていったあの日から。  それはただの偶然か?  すっと冷たいものが背筋を走った。混乱しながら俺は助けを求めるようにマスターの姿を探して店内を見渡す。だが視線がぶつかったのは違う人物とだった。その人は壁にもたれるようにして店の隅に立ち、じっとこちらをみつめていた。俺が気付くよりずっと前から、そうやって俺を見ていたのだろう。彼はあの時と同じ柔和な顔で微かに微笑む。鍵を届けた時と同じあの顔、だ。  俺があっと身を乗り出したその時、彼はすっと身体を横に動かした。わずかな動きだったが、その動きで彼の姿は他の客たちにまぎれて見えなくなった。慌てて彼のグレーのスーツを目で探すが、もう判らなくなっていた。既に外に出てしまったのかもしれない。ほとんど衝動で俺はカウンターを出ると客を押し退け、店の外に飛び出した。しかし、しんと暗い夜の風景がそこにあるだけで誰もいない。  ……何やってんだ、俺は。  短く溜息をついて俺は思う。もしここであの中年男を捕まえたとしてそれでどうするつもりだったんだ。失踪した森さんのことが頭をちらつくが、あの男がその件に関わっているという確信があるわけでもない。たまたま森さんがくれた汚れた一万円札に興味を示し、森さんの合鍵を持っていたというだけだ。その鍵はとうに森さんの手を離れ、男たちの手から手へ回っている。中年男がそれを持っていたとしても別に不思議はない。  もう一度溜息をついて、店に戻ろうと夜の闇に背中を向けた、その時、不意に後ろからぐいと肩を掴まれた。ぎょっとして振り向くと目の前に中年男の柔和な顔があった。驚いて思わず声を上げかけた俺の口を、すばやく手の平で覆うと彼は冷静に言った。 「今夜は月夜だ。私が君を買おう」  腹に鈍い痛みが走る。それは強烈なボディブロー。  息が出来なくなってあえぎながら崩れる俺を男は支えると軽々と持ち上げた。薄れ行く意識の中で一瞬、マスターの顔が脳裏に浮かんだ。
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