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 男がようやくカラダから離れると、俺は天窓から斜めにかしぐ月を見た。銀の丸い月は、しかし真円ではない。どこかいびつで、くずれた月。  ……また覗いていやがる。  俺は大人気なく、その丸い奴を睨む。そんなことをしたところで相手がひるむはずもないのだけれど。  気が付くと、自分の両手が胸の上で祈るように重ねられていた。無意識のうちにいつもしてしまう手の形。  まるで祈っているようだ。  馬鹿らしい気持ちになって、俺はそっとその形を崩す。  お前になんか何も望まないよ。  覗き見をする月に、俺は心で毒づいた。  ふと見ると、さっきまでベッドにいた男が床に座り込んでいる。脱ぎ散らかした服をかき集めて帰り支度を始めているようだ。真夜中なのに無理して帰らなくても、と思わなくもないがいつものことなので俺は何も言わない。  これはゲーム。  リアルに心配などしたら今まで築き上げてきた世界観が壊れてしまう。それは最悪のルール違反。  このゲームについて説明しようか。  ゲームは月夜に行われる。今夜のような満月かそれに近い月夜に男たちはやってくる。それが決まりになっているらしい。理由は判らない。俺は知らなくてもいいことだ。プレイヤーは彼らで、俺はただのコマだから。コマは何も考えない。プレイヤーのなすがまま、だ。  彼らは深夜、店が閉まるのを待って、無言で俺の部屋に入ってくる。知らない顔をしてベッドで眠っている俺の隣に滑り込むと、それが手順だと言うように組み敷いた俺を抱きしめたり、強引にキスしたりする。そこで初めて男の存在に気が付いたというように、俺は目を見開き、ちょっと悲鳴を上げたりしながら、男に抗って身をよじったりする。  それを五分ほどした後、俺は諦めたという感じでおとなしくなる。そこで大抵の男は力を抜いた俺のカラダを愛しそうに抱きしめ、優しい愛撫を始める。俺がようやく自分のものになった、と錯覚でも起こすのだろう。その愛撫は大抵の場合、丁寧で濃厚だ。  こうして俺のカラダを十分に楽しんだ後、ゲームセットとばかりに男はすぐに帰り支度を始める。うす暗闇の中、手探りでもたつきながら必死で服を着ているらしい気配を感じてその滑稽さに俺は心からうんざりする。  何をそんなに焦って帰るのか。……理由は簡単。きっとマスターにみつかるのを怖れているのだ。こんな時間にあの人がここに来ることなんてないのに。このスリルすら男たちは楽しんでいるのかもしれない。  それになによりも、俺は安いし。  いや、ゲームの代金としては高いのかな。  そう自虐的に思った時、ベッドに仰向けに寝ている俺の手に男が札を握らせた。見なくても判る。一万円札が一枚。これが俺のカラダの値段。 「ねえ、お金なんて」  帰ろうとドアに向う男に、寝たまま声を掛けた。 「俺、プロじゃないんだけど?」 「……いや、それは君のものだから。楽しかったよ」  優しい声でそう返すと、男は出て行く。  楽しかった? それは良かった。ゲームのコマとしては報われるってもんだ。  床に無造作に置いてある小さな電気スタンド。  そのオレンジ色のゆるい光が殺風景なこの部屋をぼんやり灯し続けている。部屋の光源はこのスタンドと男との情交を覗き見る月の光だけだ。薄暗い部屋で一方的に男に抱かれながら、俺は男の顔を見ない。相手が誰かなんて興味がないからだ。そんなことはどうでもいい。そんなこともどうでもいい。  天窓から覗き続ける月をみつめ返す。柔らかな月光が俺のカラダを照していた。 「覗いてんじゃねえよ……」  そうぶっきらぼうにつぶやいた後でなんとなく恥ずかしくなる。それをごまかそうと枕元にあるラジオのスイッチを入れた。相変わらず、ひどい雑音の中から女の歌声が聞こえてくる。ああ、この歌、知ってる。何ていう歌だっけ? 少し考えてみるが結局思い出せない。あきらめて枕に顔を埋めると、たちまち強い眠気に襲われた。これもいつものこと。  多分、月が眠れと言っているんだ。それに抗うように、俺は手の平の中にある一万円札を広げてみた。  俺はあえてこいつを形に残らない日用品を買うために使う。一万円なんて崩れてしまえばあっという間に消えて無くなる。すぐに消耗されていくこれは、まるで俺の肉。俺の血。それから心。  目を閉じる。ゲームは終わった。目覚めればまた、日常の始まりだ。
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