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「ナオミチくん」  名前を呼ばれて顔を上げる。目の前に同じ顔がふたつ並んでいた。 「モルトウィスキー、水割りでねー」 「右に同じーい」 「はい」  短く応じて、俺は後ろの棚から注文の酒とグラスをふたつ手に取る。無造作に氷をグラスに突っ込んでいると、アキラがしみじみとした調子で言った。 「慣れたねー、ナオミチくん」 「え? そうかな。教えられた通りにやっているだけだけど」 「そうかもしれないけど、最初はカウンターの奥でおどおどしてたのに、今は堂々としてるもんね。僕たちの顔を上目遣いに見ていたナオミチくんとは思えないよ」 「それは君がいじめたからでしょ」 「君に言われたくないよー」  ひとりの言葉にもうひとりが割り込み、また掛け合い漫才が始まった。俺は心の底からうんざりしながらもそれは顔に出さず、愛想よく言う。 「もうここに来て一年になるから少しは慣れるよ」 「あ、そうかあ。もう一年かあ」  アキラとマシロと名乗るこの二人の少年は、見たところ十代後半という年頃の一卵性双生児だ。同じ茶色の髪に色白の肌。大きな黒い目は仔犬を連想させる、かなり可愛いふたり組みである。馬鹿っぽい喋り方も、年上の女からは魅力的に映るらしくよく声を掛けられているのだが残念なことにこのふたりは男専門の男娼だ。女にモテたところで意味はない。  この『ガーネット』という名のバーは、繁華街の裏通りにある、いわゆるいかがわしい店である。  客が入る前の明るい日差しの中で見ると結構いい感じのアンティックな店なのだが、それが夜の空気に包まれて、常連客がひとりまたひとりと来店し始めると、店の顔は次第に隠微なものに変わっていく。大抵の客はカウンター周辺に溜まるが、この店で言う『高級な客』は奥にあるサロンのソファー席に落ち着く。  常に煙草の煙と酒と、客たちから立ちのぼる卑猥な臭いが満ちたこの店は奥に行くにつれてそれが濃くなっていった。ただでさえ間接照明で薄暗く、煙草の煙で視界が悪いのに、テーブルごとに薄いカーテンで仕切られたサロンの様子はここからではまったく見えない。しかしそこで何が行われていても誰も気になどしない。瑣末な悪事や淫らな行為は、男娼や娼婦の溜まり場であるこの店の日常の一端でしかないからだ。  一夜の相手を欲しがる連中がここにやってきては、酒を飲みながら好みの相手を探す。みつかれば金の交渉をし、成立すれば店を出て夜の街へと消えていく。それがこの店のカンタンなシステム。  娼婦、男娼。  ここに来るまでは、違う世界の人たちだった。蔑視すらしていた。けれど、こうして実際に身近で彼らを見て先ず感じたのはその美しさだった。外見の話じゃない。自分の身体を切り売りして生きている彼らには魂のレベルに達するほどの覚悟というものがある。それ故、美しいのだ。その覚悟のない俺は、だから美しくない。だからプロじゃない。  俺はマスターから男娼と区別するために着用するようにと渡された黒いロングタブリエを腰に巻きつけて毎晩カウンターの奥に立っている。  俺は男娼ではなくこの店のウェイター兼バーテンだ。アルバイトとして一年前に雇われた。いや、拾われた、といった方が真実に近いだろう。  俺はいわゆる家出少年だ。年齢は未成年、とだけ言っておく。  ぬるい日常と安穏な家にある日、突然恐怖して身の回りの物と持ち出せるだけの金を持って家を飛び出した。しかし、そんなわずかな金などすぐ尽きて、俺はたちまち行き詰った。どうしようもなくなってうずくまった場所がこの店の前だったというわけだ。  店のオーナーであるマスターに助けられた俺は、彼の計らいによりここで働けることになった。その上、この店の二階にある空き部屋に住まわせて貰っている。  屋根裏部屋を思わせるその部屋の天井には大きな天窓がある。それから古いベッドと箪笥代わりの衣装箱、小さなランプの形をした電気スタンドに雑音のひどい古いラジオ。それだけだ。殺風景なその部屋は当然のことながら、異様に寒々しい。普通の感覚を持つ人なら居心地が悪いと言うだろう。だけどその居心地の悪さが逆に俺は気に入っている。  年齢の関係で夜の十二時近くになると俺はほぼ強制的に仕事を切り上げられ、部屋に戻される。これもマスターの計らいだ。  店から這い上がってくる雑音を聞きながら、俺はいつも眠りに落ちるしばらくの時間をこの天窓から覗く月を見上げて過ごす。丸かったり、細かったり朧にくずれたりと、いろいろな表情を見せる月は、しかしどれも銀の光を与えてくれる。  月からこぼれ落ちるこの光。  月の光は神聖だと誰かが言った。  それは俺の脆弱な身体と心を浄化してくれるのだろうか?  けれど天窓から人の情交を覗き見るこの丸い奴は案外、エロいんじゃないかとも思う。そんなことをマスターに言えば、彼は困ったように眉をひそめるかもしれない。  マスターは知らない。俺のカラダの値段など。それに群がる男たちのことなど。
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