肖像の涙

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ここは赤でよかったっけ。いや、青だっけ。 八坂礼は目の前の木の板にひたすら絵の具をたたきつける作業をしていた。礼の塗っている板はどうやら主人公の貴族の住む屋敷の壁になるらしい。本格的な当主(モデルはガミガミうるさい教師だ)の肖像画も飾られるとか。随分と凝ったものだ。 ここ数日、礼は友人の篠田有希の頼みで彼女の所属する演劇部の大道具作りの手伝いをしている。もちろん自主的にではなく、学内では珍しい徒歩通学であることに加えて帰宅部の礼には断る選択肢が用意されていなかっただけだ。お陰様で演劇部の面々とも顔なじみになり、時々終わったあとに一緒に寄り道するくらいの仲になった。 夏休み前の公演は新入生が入って初めての公演だからか力が入っているらしく、高校生にしては短期間で大掛かりなセットを組むため人手が足りずに皆忙しく動き回っている。だからといって部外者の礼まで駆り出すのはどうかと思うが。 「礼、そっちお願い。」 不意に声をかけられてそちらを向くと、篠田が大きめの箱を抱えている。反対側を持てということらしい。 「あ、あぁうん。…よいしょ、これどこに持っていくの?」 「えーとね、今日はもう工具使わないから美術室までかな。多分これで今日は終わり。あとは明日の朝少し手直ししたらセットは完成かなー本番当日になっちゃうけど、間に合いそうで一安心。」 「明日の朝までやるんだ。ほんとお疲れ様だわ…」 「何?また手伝いに来てくれるの?」 「さすがに朝は勘弁してください。」 礼は朝弱いもんね、と篠田は笑う。もう少しで目的の美術室に着く。演劇部がセットを組んでいる体育館から備品を置かせてもらっている美術室までは階段を1フロア分登るだけだが、荷物を持っていたせいで礼はへとへとになってしまった。休んでいるうちに片付けを終えた篠田が声をかけてきた。 「疲れたねー、あ、知ってる?最近駅の近くに新しいタピオカの店ができたんだよ。」 「前に看板出てたかも。もう出来たんだ。」 「今日この後行かない?」 「行く。」 礼が二つ返事で頷くと篠田は「じゃあ、先荷物取って待ってて」と言って部の締めの為に階段を降りていった。 真っ直ぐに誰もいない教室に入り、荷物をまとめていると、ふと壁のカレンダーに目が止まった。今日は7月18日。 「もう本番明日なんだ。」 誰にともなくつぶやく。これまでなんだかんだ面倒には思いつつもセット作りに協力してきたし、練習の姿も横目に眺めてきたので、公演に愛着が湧き始めていることに気付いた。 部外者だから舞台には立てないけど…まぁ、見に行くくらいはするかな、などと考えていると、 「待った?終わったよ。」 と、隣のクラスにも関わらず、篠田が声をかけに来てくれた。「大丈夫。」と軽く返事をして礼は教室を出た。 帰宅路もといタピオカ屋への道のりで篠田が突然、そういえば、と切り出した。 「礼のクラスに西園寺晴さん、っているよね?」 どきりとした。 「いるけど、なんで?」 「いや、すごい噂を聞いちゃってさ。なんか大きい事件を解決した…とか、高校生なのに裏で警察からも頼られる探偵らしい…とか。漫画みたいだよね。」篠田はふふっと笑う。 「まぁ…どうだろうね。ほんとだったらすごいよね。」 「えー、反応薄。礼はこういうの興味ない?」 興味ないというか、誰にも話してはいないが西園寺晴は礼の幼なじみだ。かれこれ10年の付き合いになるが、本当に漫画のキャラクターのような華々しい活躍譚がごろごろ出てくる人間であり、目立たず普通が1番をモットーにする礼にとってはあまり触れられたくない話題のひとつだった。 「まぁいいや。西園寺さんの話もただの噂だよね。あ、タピ屋見えてきたよー」 晴の話題に飽きた篠田はさっさとタピオカに切り替えてくれた。それからは2人でタピオカを飲みながら先生の愚痴やテストの話、最近読んだ漫画の話など、くだらない話題で盛り上がった。ひとしきり話し終えたら電車通学の篠田に駅で「また明日」と手を振り、礼は「明日は少し早く起きようかな。」などと考えながら帰路に着いた。
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