29人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ
1
「好きだ……」
祐一は小さい声でつぶやいた。
「え?」
結花は、突然のことで理解できなかった。
いま、なんて言ったの?
結花はきょとんとしていた。
「好きだ。好きだ。好きだ」
祐一は勢いよく教室のドアを開けて、廊下を駆け出した。祐一の走り去る音だけが響く。
結花は状況が把握できず、呆然としていた。
小学5年生の夏が過ぎようとしていた。
**
「起立!さようなら」
日直が二人そろって言うと
「さようなら」
とクラスのみんなが一斉にあいさつした。
それから生徒たちはガタガタと椅子を動かし、教室の外へ出ていった。
今日の日直は飯倉結花だ。
「わたし、集めたノート、職員室においてくるね」
もうひとりの当番である葉子は結花に言う。
「わかった。日誌書いて、黒板消しとく。もうそれだけだから、先に帰っていいよ」
結花がバイバイと手を振る。
「わかった。ありがとう」
葉子は笑顔でランドセルを背負うと、ノートを両手で抱えた。
飯倉結花と葉子は話をするくらい仲は良かったが、グループが違っていた。仲良しグループが違うと帰るメンバーも違うのだ。それに、違うメンバーと帰ることがどんな不評をかうかもわからない。
葉子はいつものメンバーと一緒に帰りたかったのだろう。自分がいないところで、何が起きているかわからない。そんな不安定な時期ってある。
結花は葉子の気持ちを察した。
洋子はいそいそと帰り支度をして、結花に「バイバイ」というと、クラスのドアを閉めた。
隣のクラスはまだ帰りの会中らしく、ガヤガヤしていた。
結花は自分の椅子に座り、机の上に日誌を開いた。
結花の仲のよい友達は美月と芽衣子だ。家も近所で、朝学校に行くときも帰るときもいっしょだ。小学1年生から一緒だからケンカもいっぱい仲直りもいっぱいしたので、今は割と落ち着いた仲だ。ケンカになってもお互い悪気がないことや、こう考えたんじゃない?と想定できる相手になっていた。
小学一年から五年生まで一緒のクラスになったことはなかったが、最終学年の6年生になって奇跡が起きた。結花と美月、芽衣子が同じクラスになったのだ。
6年生の1年間がきっといい年になる。
結花はなんとなく予感がした。
美月と芽衣子は長年の付き合いだけあって、正直だ。長く仲良くするには無理しないこと。それが大切だ。
そんなわけで、美月と芽衣子は「ごめん、今日は親と買い物行く約束があって早く帰るね」「今日ピアノなの」と言うと、先に帰っていった。
たまにはこういう日もある。
さっさと日直の仕事を終わらせて、わたしも帰らないと!
結花はちょっぴりさみしかったが、仕方ないと思えるようになっていた。
隣のクラスも帰りの会が終わったようだ。廊下が一気に騒がしくなったと思ったら、急にしずかになった。生徒たちがいなくなったのだろう。
この教室には結花しかいなかった。
教室の窓からは、夕日が見えた。オレンジ色に輝く太陽はまだ明るかった。
早く日誌を書いて帰ろう……
結花は日誌に鉛筆を滑らせた。
白いカーテンがふわふわと揺れる。
夕方の涼しい風が結花の顔にかかった。
気持ちいい……
一瞬そう思ったが、ヤバいと思った。
戸締りが完璧ではなかったのだ。
窓の閉め忘れに気が付いてよかったと結花は胸をなでおろした。
結花が窓を閉めようと立ち上がろうとしたとき、いきなり教室の扉が開いた。
祐一が顔を出す。
「あれ? 田口は? もう帰った? 」
祐一はキョロキョロしながらちょっと不満げに言った。
祐一は結花と去年一緒のクラスだった。遠足で同じ班になったり、隣の席になったこともある。祐一は、6年になって違うクラスになってしまっても結花にいつも変わらず話しかけてくれる唯一の男の子の友達だ。
ふと去年の夏に祐一に「好きだ」と告白されたことを結花は思い出した。
あれから祐一は何も言ってこなかった。何事もなかったかのようだった。
夢だったのかなと結花が思うくらいだ。
あのとき結花は好きと言われ、どうしていいのかわからなかった。
本当に好きなの?
結花の中に疑問が残っていた。
結局あれから祐一に話す機会もないまま、5年生が過ぎ、6年生になってしまった。
「田口くん、先に帰ったかも。下駄箱のあたりにいるといいね」
「そうだな……下駄箱のあたりか、運動場のあたりで遊んでるかもな……」
祐一は田口のことを思い浮かべて笑った。
「一人?」
「うん。日直なの。美月たちは習い事とかで急いで帰っちゃった……」
祐一は結花が寂しそうに見えた。
「そっか。俺、手伝ってやろうか」
「ええ?ほんと?」
祐一の好意がうれしかったけど、違うクラスだし……いいのかな。
結花は気が引けた。
「ひまだし。あとは黒板消しをきれいにするくらいだろ」
祐一は教卓の前の黒板へむかう。
「いいの?」
結花はうれしそうに微笑んだ。
「うん……あのさ」
祐一は黙ってしまった。
「どうしたの?」
結花が心配になって声をかけると祐一の顔が赤かった。
「大丈夫?」と結花がたずねようと近づく。
祐一は結花の方を正面から見た。
「あのさ……やっぱり俺、結花のことが好きだ……」
いま、好きっていった?
--まさかね。
結花は驚いてなにも言えなかった。どうすることもできなかった。
結花が反応しなかったのを見て、祐一は大きく息を吸った。
「好きだ。好きだ。好きだ」
祐一はもう一度はっきりと気持ちを伝えた。
突然の告白に結花はなんて答えていいのかわからず、立ちすくんだままだ。
2人の間の空気は動かない。
何分たったか……数秒のことだったのか……わからなかった。
「わ、わたし……」
結花が勇気を出して声を振り絞った時、教室の後ろのドアが開いた。
「ごめんごめん、祐一! 忘れてた」
田口は緊張した二人の微妙な空気を感じとった。
「あ、ごめん……邪魔した?」
田口が祐一と結花の顔を交互に見る。
「いや……」
祐一は一言言うと、田口の背中のランドセルをぐいぐい押し、教室から追い出し、突然駆けだした。
田口はちらっと結花の方を振り向く。
結花はぼーっと顔を赤くして立っていた。
最初のコメントを投稿しよう!