ルカの願望(β×Ω)

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 専門学校に通って、声優を目指しているなんていうと、夢に向かってまっしぐらに見えるかもしれない。  ルカが声優デビューできる日は来ない。  だって、Ωだから。  競争の激しい業界において、体調不良のため欠勤なんて、ありえない。  体調を管理できるのがプロ。  高熱があっても、親が死んでも、プロである以上、求められる役を演じきらなければならない。  Ωのルカには無理な話だった。  三ヶ月に一度、一週間の発情期は、Ωとしては普通だ。発情抑制剤は、まあまあ効くほうだ。薬がほぼ効果がないというΩだって少なからずいる。  とはいっても、発情期の最中に、まともな演技などできるわけもなく、ルカは三ヶ月に一度のペースで学校を休むことになる。  高校に入ってすぐ、発情期が訪れた。  自分の第二の性がΩだと知った時には、それなりにショックを受けた。ルカはβの両親のもとに生まれた一人息子で、自身もβだと信じて疑わなかった。  普通、地味、平凡な、つまらない人間だと思っていた。  しかし、発情期を迎えたルカは、またたく間に変化していった。  身長の伸びは止まった。百六十のままだ。サッカー部で精を出せば、もっと筋肉がつくと思っていたのに、いつまでも少年体型だった。    小顔の中でぱっちりとした黒目はツヤツヤと光り輝き、鼻梁は高く通っている。一昔前に流行したアヒル口が愛嬌だ。目には涙ボクロが二つ。  むくつけき男子高校生になると思っていたルカの体は、美少年として指をさされるようになった。  こんなはずじゃなかった。  ルカの母は仰天した後、錯乱した。Ωの体に産んでしまった自分を責めてくれと言って、さめざめと泣いた。  産んだことを責めろと言われて、納得できる息子はいない。  父のほうは冷静だったが、ルカとは距離を取るようになった。当然だ。三ヶ月に一度は発情期を迎える体だ。ひとつ屋根の下で暮らしていれば、父自身だって、影響を受けないわけはない。息子の体から漏れるフェロモンを嗅いで催してしまうのは、父として許せないものがあっただろう。  症状が重い思春期のΩの場合、一人暮らしもままならず、専門の療養機関に収容されることになる。  高校は休みがちになった。  Ωだと知られることが恐ろしくて、発情期でなくとも学校を休んだ。ただの不登校だと思われるほうがマシだった。しかし、ルカがΩであることは、クラスメートには薄々わかっていただろう。日ごとに色気を増していく、休みがちの美少年。  統計上は100人いれば、αが3人、βが95人、Ωが2人である。校内の5パーセントは、βではないはずだ。  けれど、めきめきと頭角を表していくαと違って、Ωは社会生活から脱落しがちだった。  αの番を得たΩは長生きするらしいが、番のいないΩの寿命は短い。ホルモンバランスが崩れやすく、身体的にも精神的にも不安定になるからだという。  番を強く求めるがゆえに、それ以外の人間関係が希薄になる。  勉強にも身が入らず、身の安全を思えば夜遊びすらできない。  暴行を受けた場合でも、被害者であるはずなのに、むしろ加害者扱いされる。  だって、Ωだから。  発情期で、周りの人間に迷惑をかけるから。  運よくαに見初められ、番になることができれば、誰もが羨むような幸せを掴むことができる。  そんな幸運なΩは、ひと握りに過ぎない。Ωに生まれた多くの者たちは、厭われ、蔑まれ、見下され、搾取されるだけの一生を送る。もしくは、踏みにじられて終わることを儚んで、自ら命を絶つか。Ωの自殺率はβの十倍という統計がある。  不登校気味だった高校を出て、なんとなく進んだ専門学校に進んでも、ルカの日常には変化がなかった。  専門学校で知り合ったΩの友人と連れ立って、オメガクラブ『レーヴ』を訪れるまでは。  同い年の椎名(しいな)は、両耳に金色のピアスをして、二の腕には幾何学模様のタトゥーを入れている。見た目はとっつきにくいが、話してみると気さくで明るく、親しみやすい。 「いいから、一度、来てみろって」  椎名とルカは、学校でただ二人のΩの男性だった。  差別されることを避けるために、第二の性を公言することは少ない。けれど、椎名は始めからΩだと名乗っていた。 「だって、どうせバレるし。陰でコソコソ言われるくらいなら、自分から言っておいたほうがいいじゃん?」  椎名と二人きりの時に、面と向かっておまえもΩなんだろう、と指摘された。 「安心して。俺、他人に言いふらしたりはしないから」 「なんで、そんなこと」 「だって、そういうのって、なんとなくわかるじゃん。ΩにはΩがわかるっていうか」  悪びれずに笑う男がまぶしくて、ルカには目を細めることしかできなかった。 「でさ、そんなおまえにも、教えておきたい店があるんだ。ツラい発情期、一人でじっとしてんの、しんどくない?」  暴力を振るわれることもない。  合法で、報酬を受け取れて、なにより苦しい発情期を合理的にやり過ごすことができる場所があるという。
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