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「ハルカ、生きてるかあ?」
ドアを開けて入ってきたのは、シーナだった。普段から連絡もなく、思いついた時にふらっと訪れる。
「うん、なんとかね。いらっしゃい。どうしたの、すごい荷物だね。学校の帰り?」
「もう冬休みだぞ」
「ああ、そうか」
学校に行けなくなって、ルカはますます社会と切り離されていると痛感する。体が思うように動かない。動けない。
実家を出て、好きな人のもとに飛びこみ、彼の子どもを授かる。幸せの頂点にいるはずだ。けれど、自分で選んだ道でありながら、心許なさはいかんともしがたい。
「あのさあ、唐突で悪いんだけど、ハルカって犬は平気?」
「い、ぬ……?」
思いがけない言葉にとまどっていると、シーナの大荷物の中でも、ひときわ大きな箱から振動が聞こえてきた。
「こら、ダメだろっ」
「え、待って、本当に犬なの?」
「実はさ、友達から子犬飼わないかって言われて、譲り受けたはいいんだけど、急に旅行に出ることになって。で、同行者は犬が苦手だし、連れていけないし、もらってきてすぐにペットホテルってのも可哀想な気がして。昼間も面倒みてくれそうなのって、ハルカしか思いつかなくて」
「で、でも、僕、犬とか飼ったことないし、その、躾とかもどうしたらいいか」
「あー、子犬っていっても生まれたてじゃないし、トイレは一応できるお利口さんだって。でも、ハルカはまだ具合もよくないし、妊娠中ってペットとかどうなのか、わからなくて、とりあえず連れてきたんだけど。あっ、こら、待てって言っただろ。あー。もう、しょうがないなあ、シロは」
シーナはぼやいていたが、ケージにいる犬がどんな動きをしたのやら、かけていた毛布がずり落ちて、中身があらわになった。
「この子が、シロ?」
ケージの中の白い子犬が、濡れた瞳を向け、返事をするようにワン! と小さく吠えた。
「マルチーズだから賢いし、おとなしい。成長してもそんなに大きくならない。家の中で十分飼える」
「かわいい! ね、触ってみてもいい?」
ぬいぐるみのようにフサフサな毛をした子犬が、小首を傾げてルカを見上げているのだ。どこぞの消費者金融のCMではないが、これが手を伸ばさずにいられようか。あざといほどの愛らしさとわかっていても、とても抗えたものではない。
「いいよ。ハルカはアレルギーとか大丈夫だよな」
シーナは言いながら、ケージから子犬を出す。狭い檻から解き放たれた子犬は、キャンキャンと嬉しそうに跳ねまわった。
「どうしよう。なに、このかわいいの。え、どうしよ。普通に撫でていいの?」
「もちろん。抱っこしてみる? 支えてやるから、ほら」
シーナに習いながら、恐る恐る腕に抱きしめる。慣れない手つきのルカを嫌がることなく、マルチーズはおとなしく抱かれている。
「あったかい。ほわほわ。ドクドクってしてる。めちゃくちゃカワイイんだけど!」
「四日間だけ預かって欲しいんだけど、大丈夫そうだな」
「え、待って。ご飯とかトイレとか、ちゃんと教えて!」
「ああ。あとさ、二階堂さんは犬が駄目ってことないよな?」
「んー、どうだろう。聞いたことないけど」
コワモテの見た目で、犬に怯える姿を想像すると笑えるが、アレルギーやなにかの場合は笑えない。
「もし、無理そうだったら、おまえの体調にも良くないとかの場合は、遠慮なくペットホテルとかに預けていいんだからな。費用はもちろん、俺が出すから」
「え、あ、うん。でも、できるだけ僕が面倒みたいな。だって、こんなにカワイイんだよ、この子」
ルカはふわふわな毛並みに鼻を近づけて、うっとりと微笑んだ。子犬特有のあたたかで、乳くさい匂いを堪能する。
「四日後には迎えに来るぞ」
「うん、わかってる。僕、犬も猫も飼ったことなくて、ずっと昔、子どもの頃に母親にダメって言われて、すごいしょんぼりしたこと思い出した」
水槽で金魚とメダカを飼っていたが、犬や猫の代わりにはならなかった。
頭のうしろを撫でてやると、クンクンと鼻を鳴らして、くすぐったそうにしている。
「そんなわけで、よろしく頼むわ」
「この子、名前はシロでいいんだよね?」
「んー、そうだなあ。実は一昨日もらってきたばかりで、とりあえずシロって呼んでたけど」
シーナは苦笑いを浮かべ、名残惜しそうにシロを一撫でして帰っていった。
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