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「で、お客さんのご希望は?」
「不思議なことが起きない部屋」
「だよね」
栗おこわを食べ終えると、宇野に連れられて、歩いて内見することになった。
穏やかな秋晴れの昼下がり、ビルの谷間のような路地を行く。繁華街の喧騒から少し離れた裏通りは、年季の入った建物が多い。外壁が剥がれおちた建物はいまにも倒壊しそうだし、飴色の柱にトタン屋根をつけただけの民家は強風で吹き飛ばされそうだ。
ルカは馴染みのない街を興味深く見まわした。自分がΩだとわかってから、暗く人通りのない道は、極力通らないようにしていた。
小柄な宇野、こわもての二階堂、若く華奢なルカの三人の組み合わせがおかしいのか、道行く人々から、すぐに道を開けられる。
「場所がさ、ニーちゃんの事務所から徒歩十分圏内とか、あれこれ無茶言うから、探すの大変だったわ」
一件目のマンションは新築同然で内装も申し分なかったが、日当たりがいま一つだという理由で、二階堂はすぐに却下した。
二件目は、表通りに面したビルの三階で、音がうるさいと言って、これもすぐに却下。
「宇野ちゃん、もうちょっと、マシな部屋ないの?」
「ニーちゃんなんて、毎日ほぼ事務所に棲みついてるんだし、部屋には寝に帰るだけだろ。日当たりや騒音なんて、関係ないじゃん。おっさんのヤモメ暮らしに、なに贅沢なこと言ってんだよ」
「そっちこそ、そんなやくざなこと言ってて、商売する気あんのか」
「なんだとぉ? おまえがそれ言うか?」
次第に険悪になる雰囲気に耐え切れず、ルカは止めに入っていた。
「あの、やめてください、二人とも」
二階堂と宇野は、同時にルカを振り返って首を傾げると、声を上げて笑い出した。
「やだなあ。ケンカでもしてると思った?」
「思いましたよ、そりゃ」
「アタシら、いつもこんな感じだから、なんにも思わなかった」
「おい。こっちだ。エレベーター来たぞ」
三件目はリノベーション物件で、二部屋をぶち抜いたリビングには真新しいフローリングが光っている。壁面には鏡が一面に張ってあって、そのうしろは収納スペースだという。
「ここ広いですねえ。ヨガ教室とか始められそう」
ルカがつぶやくと、二人は同時に吹き出した。
「え。僕、変なこと言いましたか?」
「いや、いい。気にしないで」
ニヤニヤと頬を緩める二人を見ていると、ルカの中で不安が広がっていく。
そもそも、どうして一緒に内見にきているのか。部屋を探しているのは二階堂で、不動産を紹介しているのは宇野。ルカが入る余地なんてない。
どうして、来てしまったのだろう。
軽い調子で訊かれて、誘われるままについてきた。
二階堂に会いたかった。レーヴの部屋で情熱的にまぐわう以外のことで、二階堂と会いたかった。
レーヴはいわゆる風俗店と違って、雇用したスタッフを厳しく管理したりはしない。これは経営者の方針というより、法律の問題だという。
女性に対しては、法律上、さまざまな制約がある。エッチなサービスを提供しておいて、本番さえしなければいいというのも、微妙に納得できない。
その点、Ωは法律の網の外にいる。
Ωを強姦しても、犯罪にならない。さすがに、衆人環視の中で暴行されることはないが、どこでなにをされても、Ωの訴えは認められない。
Ωとは法律に守られていない存在だから、自分の身は自分で守らなければならない。そう諭してくれたのは、レーヴの天宮だった。
「で、ニーちゃん、ここならどうよ」
「下の郵便受けが汚かったから駄目。入口が汚いと、ゴミ捨て場も汚くて、住民のモラルが低い」
「まあなぁ。ゴミ置き場の汚い集合住宅って、エレベーターがおしっこの匂いしたりすんだよなあ」
宇野は顎をさすりながら、渋面で唸っている。
「とりあえず、次行くかぁ」
無理に作った明るい声に背中を押されるようにして、三件目の部屋を出た。
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