931人が本棚に入れています
本棚に追加
四件目の部屋は、隣との壁が薄いことを理由に、二階堂が却下した。
「厄介なお客さんだなあ。幽霊さえ出なきゃ、なんでもいいんじゃなかったのかよ」
「そんなこと言ってないだろ、宇野ちゃん」
宇野と二階堂のうしろを歩きながら、ルカはひどく疲れていた。家を見てまわるのは、意外と消耗する。知らない場所への緊張のせいか、倦怠感を覚える。
「ルカ、大丈夫?」
「す、すみません。平気です」
「平気って顔してないよ。ちょっと待ってて」
二階堂はワンブロック先まで早足で向かうと、自動販売機でコーラとジュースを抱えて戻ってきた。
「ごめん。こんなのしかなくて」
「いえ、ありがとうございます」
ルカはオレンジジュースの缶を受け取って、口をつけた。人工的な甘さが喉を潤していく。
「おいおい。オレの分はないわけ?」
「小銭が足りなかった」
「ケチなおっさんだなあ」
宇野は口を尖らせてボヤくと、自分の分の缶コーヒーを買ってきた。
「なんかさ、こうやって三人で飲んでると、オレらって、どういう風に見えるかな」
眉をしかめた二階堂が冷たい一瞥をくれるが、宇野は気にした様子もなく続ける。
「悪の組織が若い子を騙して、身ぐるみ剥がして毟り取ろうとしてる、とか」
「……してない」
二階堂は思い切り顔をしかめて否定するが、宇野はケタケタとあたりをはばからずに笑っている。
「ルカはそんなに馬鹿じゃない」
「おう。愛されてるねえ」
「やめろ」
「おお、おっかない。さすが、悪の組織」
宇野はにやけた顔そのままに、三人分の空き缶を捨てると、五件目の部屋へ向かった。
どれも、ごく近所をまわっているとはいえ、内見の時間はかかっている。秋の太陽はだいぶ傾き、オレンジ色の西日がさしこんでいる。
「今日は、これで最後な」
ライラック色の外壁が特徴的だった。築十五年の雑居ビルのエントランスをくぐる。中から出てきた住人と思しき若い女性が、三人とすれちがいに挨拶をして出ていった。
「勇敢だな。悪の組織相手に、怯まずに声をかけるとは」
「誰が悪の組織だ」
「おや。まだシラを切るつもりか」
「宇野ちゃん、いい加減にしてくれよ」
「ああ。ルカくん、ごめん。おじさんたち、別にケンカしてるわけじゃないからね。そんな心配そうな顔しないで」
三人でエレベーターに乗りこみ、最上階へ向かう。
建物自体は新しくなかったが、エントランスも廊下もきれいに磨かれていて、掃除が行き届いているのがわかる。
宇野に案内されたのは、ごく一般的な2DKだった。バスルームとキッチンをリフォームしてあり、新しい畳からはイグサの匂いがした。
「ルカ、この部屋どう思う?」
「え」
振り返った二階堂に訊ねられるが、とっさのことで返事ができない。
ようやく、思い出した。どうして、二階堂が内見にルカを付き合わせているのか。
「あ、あの、特になにも感じないです。それに、今日見た部屋は、どこも変な感じはしませんでした」
「だから、ちゃんと厳選したんだよ。幽霊の出ない部屋。それを、次から次から一瞬で却下しやがって」
宇野はあからさまに口を尖らせていたが、派手な着信音に気づくと慌てて靴を履き、外へ出ていった。部屋にはルカと二階堂の二人が残された。
「あの、二階堂さん。べつに僕、特に霊感があるとかじゃないんですが」
なんとなく、感じるだけ。
踏切で冷気を感じて、あたりを見まわすと、花束が備えられていたり。古いビルで気分が悪くなって訊ねてみると、いわゆる飛び降りの名所だったり。ただ、それだけのこと。
「違うよ。そういう意味じゃない」
「え」
「ルカがどう思うか聞きたかった。ここ、住みやすいかどうか」
窓の外には、黄昏に染まる街が広がっている。高層ビルの谷間にある街は、そろそろ目が覚める頃だった。
カーテンのない空き部屋で二階堂と二人、立ちつくしているのが妙だった。
「眺めが、いいと思います」
「使い勝手はどう?」
「角部屋で日当たりよくて、台所に窓があるから風も通るし、収納も多いし」
「ルカだったら、ここ住みたい?」
「え」
なにを言っているのだろう、二階堂は。
「住みたい? 住みたくない?」
「え、あ、住みたいと、思います」
「じゃあ、住んじゃう?」
ルカは大きく目を見開いて、間近に迫る二階堂を見上げる。
最初のコメントを投稿しよう!