シーナのとまどい(Ω×Ω)

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 マナは、シーナよりも前からレーヴにいる古株だった。  年を聞いたことはない。シーナと同じく、発情期でなくても出勤してくるので、こうやって顔を合わせる割合は高いが、正直、あまり関わりたくない先輩スタッフの一人だった。 「客にドタキャンされたんだけど!」 「それは……災難でしたね」  シーナは仕方なく、お茶を煎れて手近な椅子に腰を下ろす。マナも当然のように、向かいの椅子に座った。バニラビーンズを思わせる甘い香りが漂ってくる。焼きおにぎりの前では遠慮して欲しいが、そうも言えない。 「新規のよくわかんない客って、あたし、ホント嫌なんだけど! Ωをなんだと思ってるかってーの。呪ってやる。二度とイイ思いできないよう、呪いかけちゃる」 「はあ。でも、そういうのって、天宮さんが身元とか確認してるんじゃないですか」  レーブではオーナーが別にいるらしいが、シーナは会ったことがない。地下のバーに立っているのは、年かさの無口なバーテンと黒服の天宮の二人だ。普段、食堂で温かいご飯を提供してくれるのはバーテンである。  天宮は謎の存在だった。レーヴでの采配はすべて、彼が取り仕切っている。  いや、彼と呼んでいいのかも怪しいくらいの、ミステリアスな美貌の持ち主で、天宮を指名したがる客も多い。すべて断っているらしい。天宮本人も、Ωなのだろう。 「だからね!」  大きく頬を膨らませたマナが、手にした湯のみを手荒にカウンターへ置く。あふれそうだったお茶は、すんでのところで溢れなかった。 「前に、別のスタッフとは寝たのよ。そりゃ、発情期のフェロモン嗅げば、どんな男だってイイ思いしたでしょうよ。よせばいいのに、発情期じゃないΩがいいとか言い出して、このザマよ。もう、信じられない」  ああ、とシーナは心の中で納得する。ゴスロリ女子を絵に描いたようなマナでは、件の客は役に立たなかったのだろう。  一般の客は、かくもΩに対して理解がない。Ωであっても、女性ではない。発情期以外は、普通の男性と変わらないのだということが、わかっていない。 「いますよね、そういうお客さん」 「ホントよ。もう、今日は気が乗らないから、ここでやけ食いして帰ろうと思って」  マナがカウンターへ片づけたトレイには、空になった皿とお椀が三段ずつ重なっている。 「んもう、こんなことしてると太っちゃうから、嫌なんだけど」  シーナだったらビールを流しこんで寝てしまうところだが、マナは下戸だと聞いたことがある。  口を尖らせて拗ねる姿は、女子にしか見えない。衣装もそうだが、レーヴに来ている時のマナは女装に徹している。他のスタッフで、女装を通しているのは一人しか知らない。華奢で女顔のΩであっても、女ではないという意識の者が多い。 「あらやだ。あんた、またピアス増えたの? どんどん、ごつくなるじゃない」 「俺の勝手でしょ」 「よくそれで、客の相手できるわね」 「こういう俺がいいっていうお客さんだっているんですよ」 「わかんないわー。あたしだったら、もっと可愛い見た目の子がいいと思うけどね」 「マナさんみたいな?」 「そうよ。普通の客は、そういうの求めてると思うわよ」  マナは胸を張るが、女装まで求めていないのでは、というかゴシックロリータの時点で守備範囲を狭めているとシーナは思う。黒いルージュじゃないだけマシだけど。 「まあ、その頭のヒラヒラはかわいいですよ」 「ヘッドドレス? そう、これ新しいの買ったの。前のはレース引っ掛けて破れちゃったからさ」  球体関節人形にしか似合わなそうな黒レースの髪飾りを弄りながら、嬉しそうに微笑む。マナはひとしきり喋ると気が済んだのか、手をヒラヒラさせて出ていった。完璧な女装を決めているマナは、爪だけは自然な色を保っている。鮮やかなマニュキアは昼間の仕事に差し障るし、レーヴでは爪を短くするよう指導されている。 「なんだかなあ、もう」  シーナは残りのプリンを掻きこむと、席を立った。妙な疲労を覚えていた。カウンターに立っている天宮に挨拶だけ済ませると、まっすぐに家へ帰った。  鞠村の名刺入れをポケットに入れたままにしていたのに気づいたのは、翌朝のことだった。
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